泥酔亭の成り行き日記

P_20180516_213217「海鮮一 暴飲暴食」でしっかり満足したあと、さっきよりも静かになった気がする唐津の町を歩いてみた。
暑くも寒くもなく、ほろ酔いの散歩にはちょうどいい風も吹いている。
明日は昼頃に唐津を出ればいいってんで、最後の夜はもう一軒どこかへ寄ろうってことになった。
ほとんど人通りのない表通りを歩いていたら、ふと看板が目に留まった。
「明日があるさ」という店名の下には「音楽酒場」と書いてある。
しかもその上の方には「弾き語りもOK」とも書いてある。
旅も終わりの方になると、無性にギターにさわりたくなってくる
「ちょっと寄ろうかな?」というと、マダムは「旅先でまであんたの歌は聴きたくない」というようなことを遠回しに言って「いくんなら一人でどうぞ」というので、ここからはお互いソロ活動することにした。

ふらっと中へ入ってみると店内はかなり広く、奥のステージの方には楽器がたくさん並んでいた。
マスターと奥さんの2人でやっているようで、ほかにお客さんはいない。
ひとまずハイボールを注文すると、「飲み放題の方がお得ですよ」というので、おまかせすることにした。
で、いろいろ話しをしてみると、若く見えるがマスターは昭和32年生まれ
ほぼ同世代ということだ。
マスターもギターを弾いて歌うということで、自然と「なにかやりましょうか」ということになった。
同じような曲を聴いてきた世代なので、選曲は当時流行のフォークソング。
拓郎、陽水、かぐや姫・・ちょっとはずれて泉谷しげる。
思いつくままの気軽なセッションで酒も進む。
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ashitaマスターもこちらが北海道から来たというので驚き、同じライブバーをやっているというので再度びっくりしていた。
ちなみにここのマスターの名字は「チサキ」というので、てっきり北海道風に「地崎」かと思ったら、「苣木」と書くのだという。
九州出身のロックバンド「THE MODS」のギタリストも同じ名字らしい。
さらに同じ「苣木」と書いても「スガキ」という人もいるという。
また佐賀市には「苣木」という地名もあって、そこは「チヤノキ」と読むとか・・・。
マスターのいうには、「苣(ちしゃ)の木」から来たんではないかという。
ちしゃの木の若葉はレタスに似た味がするらしい。
そういえばむかし年寄りがレタスのことを「ちしゃ菜」と言っているのを聞いたことがある。

ってなことを話しながら飲んだりギターを弾いたりしていたら、一人の若い女の子が入ってきた。
なんでもマスターの娘さんの同級生の仁美(よしみ)ちゃんといって、東京から里帰りの最中だとか。
届け物をしてすぐに帰るつもりだったが、キーボードを弾けるというので、セッションに参加することになった。
譜面が読めるのでだいたいの曲は合わせて弾いてくれる。
セッションのあいだ、マダムから何度もメールが届いていた。
マダムも駅の近くのバーで楽しくやっているらしい。
楽しい時間はあっという間に過ぎ、マスター、仁美ちゃんと記念撮影して店を出た。
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マダムの店で合流しようと思ったら、ちょうど店を出たというので、駅前で待ち合わせてホテルに戻った。
芦別に戻ってから、マスター、仁美ちゃんとはFBでつながっている。
一昨日、南は九州佐賀県唐津「音楽酒場 明日があるさ」に、北は北海道芦別の「ロックハウス ディラン」のマスター伊藤忠司さんが立ち寄ってくれました。・・・時間を忘れて楽しみました。 もう二度と会うこともないかもしれませんが、音楽での出会いに感謝。とその夜のことが書き込まれてあった。
仁美ちゃんも「唐津に来られていた北海道の伊藤さん。音楽酒場を経営される苣木マスター。そこに立ち寄ったおかげで、素敵な出会いがありました…☺️」と書き込んであった。

音楽を通じた楽しい出会いに感謝の唐津の夜でした。
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P_20180516_194159驚くほど人通りの少ない駅前通りを下って、今夜の宿「唐津第一ホテル」にチェックイン。
ひとまず体を休めて、陽の落ちたのを見計らっていざ唐津の町へ。
来る途中アーケード商店街を見かけたので、ちょいと冷やかしに覗いてみることにした。
ところがまだ七時前だというのに、どの店もすでにシャッターを下ろしている。
佐賀市に次いで県内では二番目の人口、約十三万人も住んでいるというのになんという静けさ・・。
中心市街地の空洞化の波は、こんな所にも及んでいるんだべか?

飲食街は商店街の近くにあるというのに、ほとんど人影を見かけない。
まさかわれわれの知らないうちに、半島有事でもあって戒厳令でも敷かれたのか?
ってなぐらいの静かな町をしばらくうろついて、ふと目に留まった居酒屋「海鮮一 暴飲暴食」にご入店。
すると驚くことに店内はほぼ満席、二階では宴会もやっているらしくにぎやかなことこの上ない。
なんとかカウンターが空いていたので、まずはビールを注文。
「海鮮一」という言葉に引かれて入ったが、海鮮以外のメニューも充実している。
従業員もいるが、店主夫妻のほか息子や娘も手伝っている
こういう店にははずれが少ない。
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で、「穴子の蒲焼き」「めひかりの唐揚げ」「こちの天ぷら」「関さばのカルパッチョ」なんぞを肴に、唐津の地酒「聚楽太閤(じゅらくたいこう)」を熱燗でいただく。
いまの店主夫妻は二代目で、店内を忙しく走り回っている息子さんは、もう三代目を継ぐことが決まっているそうだ。
どの料理も工夫されていて、しかも良心的な値段だ。
九州最後の夜、今夜も当たりの店だった。

ってなことで、せっかくだからもう一軒行ってみようと、さっきより静かになった気がする唐津の町へ出た。
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P_20180516_160907波のむこうに消えていく壱岐を見ながら、甲板で飲む缶ビールは格別だ。
少々風は強いが、天気は上々、波も静か。
ここをさっき一支国博物館で見た古代船が行き来したことを思うと感慨もひとしおだ。
壱岐の印通寺港から唐津東港までは、約一時間四十分の船旅
ちなみに印通寺は「いんどうじ」と読む。
マダムに説明するときに何度もこの港の名前を言っていたのだが、「なぜこの人はさっきからインド人の話しばかりしているのだろう?」と思っていたらしい。
なんのために壱岐まで来て、インド人の話しを何度もしなきゃならないのか?
少し考えりゃわかりそうなもんだが・・・。

P_20180516_171338船内で唐津の情報をあれこれと調べているうちに、陸地が近づいてきた。
ふと前方を見ると、小高い山の上に城が見える。
たぶんあれが唐津城(またの名を舞鶴城)であろう。
そうこうしているうちに船は無事唐津東港に到着。
ここから西唐津駅に行き、電車で唐津まで行く。
フェリー乗り場から西唐津駅までは約2km
長旅に疲れた体にはちょいとキツい距離だ。
バスはないにしてもタクシーの一台もあるだろうとあたりを見回しても、車一台走っていない。
しかたないのでタクシーを探しつつ駅の方に向かって歩いたが、とうとう見つからないまま駅に着いてしまった。
フェリー到着時間に合わせて、タクシーの一台も待機させといてもらいたいもんだ。

P_20180516_181509いきなりのセミハードな展開にブウスカいいながらも、電車に乗り込んで約30分で唐津駅にご到着。
さて初上陸の唐津市はいかがなる所だろうと、駅前から続く表通りを眺めると、なんとも落ち着いた風情の町のようだ。
駅前によくあるチェーン居酒屋やケバいパチンコ屋などもなく、高層建築もほとんどない。
しかもいくら平日とはいえ、人も車も異様なほど少ない。
やはり同じ佐賀県でも、唐津藩よりお隣の鍋島藩(佐賀藩)の方が明治維新で活躍したせいで栄えているんだベか?
あとで調べてみると唐津藩主小笠原長行(ながみち)は、最後まで幕府側について函館戦争まで戦ったとか。
薩摩藩のとりなしがなかったら、唐津は九州の会津になっていたかもしれないそうだ。
しかし最後まで意地を通した小笠原長行は筋の通った気骨の人だった。
以前四国の松山市に行ったとき、寿司屋のおやじさんが「松山は徳川方に付いたから、土佐藩みたいに威勢がよくないんです」といっていた。
維新から百年以上経っても、まだそういう空気って残っているのかもね。

さ、九州最後の夜、唐津にはどんな店が待っているであろうか?
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