泥酔亭の成り行き日記

images今日は気温が下がり、少し肌寒い。
内地の方では桜が満開らしいが、北海道の春はもう少しおあずけらしい。
追悼ブログばかり書いていると、気持ちもしぼんでくるので今回は好きなギターの話
初めてギターを買ったのは、中学1年生の時で、「中1時代」の特集で「君も一週間でギターが弾ける」ってのを見て、ついその気になって質屋で白いギターを手に入れた。

少ないこづかいと親にねだってやっと手に入れたギターは¥3,000だった。
どこのメーカーかも覚えていないが、クラシック・ギターだったのでスチール弦に張り替えたが、ネックが太い上に弦高も高く、今から考えると恐ろしく弾きづらいギターだった。
中1時代に載っていた課題曲は、吉田拓郎の「結婚しようよ」
勇んで始めたはいいが、なにしろ指が痛くてたまらない。
CだのAmだのはなんとか押さえられるようになったが、Fがどうしても押さえられられない
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それからしばらく経って、友だちが音楽雑誌の懸賞で、五万円ぐらいのギターが当たったってんで、そいつん家に押しかけて弾かせてもらった。
目からうろこどころか、目ん玉が落ちるぐらい弾きやすい。
今から思うと、弦も細いのを張っていたようで、今まで苦労していたFが楽に押さえられる
それからというもの、相手の都合なんぞまったく考えず、連日のようにそいつの家に押しかけてはギターを弾かせてもらった。
そうなると、家にある弾きづらい白いギターには自然と手が伸びなくなる。
おりからのギターブームだったので、ほかのご学友たちもどんどんとギターを手に入れだした。
毎日のようにいろんな奴の部屋に押しかけては、様々なギターを弾き倒した。
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で、高校に進学したらギターを買ってやるといわれて、ついに手に入れたのが「鈴木バイオリン」製の山本丈晴モデル
こぶりなギターで、透明感のあるいい音がした。
・・・が、その数年後まちがってネックを折ってしまい、あえなくお陀仏・・。
去年ヤフオクで、同じタイプのギターを発見し、¥9,000で落札した。
古い友だちと再会したような気分だ。

ちなみに山本丈晴って、古賀政男の弟子で、その後養子になり古賀丈晴となって、女優の山本富士子と結婚して山本丈晴になったというお人である。
って、こんなこと書いてもいまの若い人にゃちんぷんかんぷんだべね。
昭和は遠くなりにけり・・。
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b0100078_2221123好きなミュージシャンや親しい人たちがあいついで亡くなるので、このブログもまるで追悼ブログみたいになってしまった。
陽気もすっかり春めいてきたので、晴れやかな気分でなにか身近なことでも書こうと思っていたら、加川良の訃報が入ってきた。
70年代のいわゆる関西フォーク・シーンを語る上では欠かすことのできないミュージシャンだ。
ディランでも移転前に2回、新しい店舗になってからも1回ライブに来てくれた。
歌と同じぐらい個性的でアクの強い人で、独特のステージの動きは「麦踏み」なんていわれていた。

北海道にも個人的だがファン・クラブのようなものがあり、そこから加川良の入院を聞かされていた。
病状はわからなかったが、今回の発表によると、急性骨髄性ryo_3白血病だったという。
享年69歳・・・。
なんともユニークな人で、初めてディランに来た時は2時間以上もリハーサルをした。
その当時は「本番より長いリハ」とあちこちで有名だったという。
親しいミュージシャンたちは「客のいない会場でいくら念入りにリハしても、客が入ったら変わってしまうのに・・・」とよく話題にしていた。
高田渡さんなどは「なに気取ってんだ?周りの迷惑考えろ!」と怒っていた。

移転後のディランでのリハのとき、また2時間もやるのか?と思っていたら、ほんの15分ぐらいで終わってしまって驚いた。
今までの2時間リハはなんだったんだべ?
それでも強烈な個性と歌声は圧倒的で、その存在感はさすがというしかないステージを見せてくれた。
70年代フォークの名作といわれる「教訓1」
その曲を教えてくれた1つ年上の叔父も、去年の秋に急逝した。

♪ 命はひとつ 人生は1回 だから命を捨てないようにね・・・。♪
今ごろは高田渡さんと嫌味の言い合いでもしているかも。



090518突然ですが、宝くじで七億円当たったので、タヒチに引っ越します。
長らくお世話になりました。ではアディオス!

・・・と、せっかくのエイプリルフールなので、小学生みたいな嘘を一発かましてみました。失敬!
だいたい宝くじもなにも、買わないものは当たらないのが道理。
しかもわれわれ夫婦には、くじ運なんてものはこれっぽっちもない。
地道に稼いで、これからも芦別でほそぼそと生きていきます。

「2月は逃げる 3月は去る」とか毎年のようにいっているけど、今年の3月は「散々」の3月だった。
月はじめに二人そろって風邪をひいて寝込むわ、身内のように親しくしていたお客さんは亡くなるわ、月末にはまたそろって風邪で寝込むわと、ふんだり蹴ったりの月だった。

dylan17去年の暮れに突然入院することになったそのお客さんは、入院してたったの三ヶ月ほどでこの世を去った。
68歳のあまりに早すぎる死だった。
あまりに突然の事だったので、いまだに実感がまったくわかない。
ほとんど毎日のように、ディランのカウンターに座っていたので、まるで同居家族のようだった。
秋ごろに尿の調子が悪く、出づらかったり、頻尿だったりするといっていたので、てっきり前立腺や腎臓の病気だと思っていた。
かかりつけの病院で検査してもらったが、どうにもわからないので、札幌の病院で診てもらったところ、結果はまさかの肺がん・・・しかもステージ4だという。
若い頃はヘビースモーカーだといっていたが、もう何年も煙草は吸っていない。

NHKで特集をしていた「プレシジョン・メディシン」という治療法に望みをかけて、北大に転院しようとしていた矢先に亡くなってしまった。
今年のはじめに一度手紙が来て「飯もうまいし、まったく死ぬ気がしません」と書いてあったので、知らせが入った時は愕然としてしまった。
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メールで送られてきた「酒求め 道の向こうに 赤い窓」という一句が辞世の句になってしまった。
自宅から夜歩いてくると、通りのむこうにディランの窓は赤く見えるといっていた。
返句に「主待つ 湯割りグラスも 淋しげに」と送った。
あれから毎日、カウンターのいつもの場所でウイスキーの湯割りが、主を待っている。
合掌・・・。
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