泥酔亭の成り行き日記

2011年09月

shy11017/24の黄金井脩からだから、今回のシャイは一ヶ月ちょっとぶりのライブということになる。
8月はお盆だなんだと忙しいだろうからと、ライブは入れなかったので、かなり久しぶりな気がした。
去年は会わなかったのでシャイと会うのは二年ぶりになる。

年齢が同じのせいか、リハが終わったあとはもっぱら健康談義。
お互い健康には少し?気を使う歳になったということだ。

若い頃一緒に遊んだ友達が、芦別を離れあちこちに散らばっているが、音楽をやっている友達はなぜかシャイと知り合い、いまも仲良く付き合っている。
横須賀のジョーや、姫路のナベさんなどの近況を聞くのもシャイに会う楽しみのひとつだ。

さて今回のライブ、前日まで大荒れだった台風もなぜか落ち着いて、フェーン現象かなんかしらないが、変に蒸し暑い日だった。
もっともその方が、沖縄気分が出てビールもうまい!

shy09当人いわくパーソナルなヒット曲「ヘイヨー魂」から始まったライブは、途中休憩を挟んで怒涛のアンコールまで一気に駆け抜けた。

2009年に本誓寺で行われた「沖縄ナイト」←で初めてシャイを見た高校教師のN先生「心ひとつ」という歌を聴いて「ぜひラグビー部のテーマ曲にしたい」と大変気にいったようだった。

岩見沢から夫婦で来てくれたS先生は打ち上げで「年齢のせいかもしれないが、シャイさんはいい意味で力が抜けてきましたね」といっていた。

shy1102たしかにボクシングの試合でいえば、最初はジャブで距離を測り、ラウンドを重ねるごとにパンチが決まり、最後はロープに追い込んで怒涛のラッシュ。
そして見事なノックアウト!
見事な試合運びといえる。

思い切り打ちのめされたあとの酒は清々しくこの上なく美味い。

恒例の打ち上げ料理の紹介は今回写真を取り忘れたが、旅で不足しがちな野菜をふんだんに使うことにした。
もちろんシャイのふるさと沖縄のゴーヤ・チャンプルもアレンジして出した。
「塩豆腐とトマトのサラダ」、「さんまの山椒煮」、「鯖の揚げびたし」、「しめじとツナの炊き込みご飯」などをつまみに打ち上げは遅くまで盛り上がった。

うたいみそーち(おつかれさま)シャイ、にふぇーでーびる(ありがとう)またやーさい(またね)。
shy11c

おまけ
よく知られている沖縄方言の「めんそーれ」は「参りそうらえ」が訛った言葉ということです。

onmitsu明治生まれの婆様と暮らしていたせいか、子供の頃からチャンバラはたくさん見ている。
おもちゃの少なかった時代だから、棒切れさえあれば鞍馬天狗でも←隠密剣士にでもなれるチャンバラごっこはあの頃の子供の定番の遊びだった。

神社のお祭にも小屋掛けの芝居が来て「番場の忠太郎」沓掛の時次郎」「国定忠治」など股旅物もやっていた。

今見るとたぶんチンケなものだったんだろうけど、出演している役者も見ている方も真剣だった。

テレビの時代劇も役者をはじめ脚本、演出などいいものを作ろうとする気迫が伝わってきた。
このあいだスカパーでNHK大河ドラマ「樅ノ木は残った」の総集編をやっていたので、ちらっと見たらこれがまぁなんとも重厚な作りで、思わず引きこまれてしまった。

nodameそういやぁ、いまの大河ドラマはなにをやってんだべ?と、珍しく見てみると、しばらく開いた口がふさがらず、すぐさまチャンネルを変えた。
なんだありゃ?何かの冗談か?
いくら主役が←「のだめなんとやら」で白痴みたいな役をやっていたとはいえ、こりゃあまりにひどすぎる。

マダムは好きな宮沢りえが出てるので時々見ては、嫌いな鈴木保奈美が出ると消したりしているが、こちらは今さらあんな冗談にもならない時代劇を見ているほどヒマではない。

仮にもこれが歴史ある大河ドラマとは・・・。
あまりにあきれ返ったので、ネットで調べてみると、たしかに評判もひどい。
しかもこの茶番劇、一本の制作費が6000万とか・・・。
あらすじだけ朗読して、被災地に送ったほうがよほど喜ばれるんでないのか?

goそういや昔TBSの会長が「日本人はバカばかりだから、我々テレビ人が指導監督してやっと­るんです」(2003年)「テレビは洗脳装置。嘘でも放送しちゃえばそれが真実」(1998年副社長時代)といっていたが、よほど視聴者をボンクラ扱いしていないと、次から次へと質の悪い番組を作れるもんではない。

どんな奴が脚本をやってんのか?と調べてみたら、以前大河ドラマの「篤姫」を書いていた田渕久美子とかいう女性。
ネットに彼女のこんな言葉が載せられれていた。
「書きたいと思うものはこれまで一つもない。遊んでいたい。楽していたい」
「自分にとって大事なことは書く事よりも、自分らしい生き方をすること」
「ドラマを書くのは、自分を磨くため」
「私は何にも縛られたくない」
「今このときも海外に行きたい。言う通りにさせた方が私はいいもの書くよ」
「子供たちはそういう私を理解している」

126721541185816423408_mukoudakunikoどこからこんなのが出てきたもんだか?
向田邦子が生きていたら張り倒されるべなぁ。
書きたいものがなかったら書かなくていいからとっとと海外でもどこでもいってくれ。

右を向いたり左を向いたりしているうちに、今年も残すところあと四ヶ月。
今年が終わっても、大晦日を過ぎりゃ手付かずの一年がまるまる控えているので、今さらジタバタするわけではないが、なんとなく尻に火が付いているような気分になる。

今日と同じような明日が来るとは限らないのは、東日本大震災を持ち出すまでもない。
いつまでもあると思うな親と金、いつまでもないと思うな運と災難。
いつどんなことが起きても不思議じゃないのが世の中だ。

yoshiその日もごく普通の穏やかな日だった。
昼間は、ブログにコメントなども書いてくれている「下総の繁蔵」さんが奥さんと一緒に訪ねてくれた(写真は2010年のもの)。

彼とは若い頃同じ職場で働いていて、よく一緒にレコードを聞いたりギターを弾いたりしたものだった。
あれからざっと三十年以上が過ぎた。

バンドでギターをひいていた頃の彼は、この写真の半分ぐらいしかなかった(もちろん横にだが)。
貫禄ついたのぉ・・・。

で、夜は夜で東京で修行していたKくんが、「東京で店を出すことになりました」と、彼女を連れて報告にきてくれたり、久々のロカビリー・マニアとR&R談義をしたり楽しい夜だった。

kagiで、家に戻ろうと自宅の鍵を開けようとしたら、まったく動かない。
冬ならば「シバレたんだべか?」ってとこだけど、今は夏の終わり、いったいどーしたもんだか?

「どうせどっか引っかかってんだべ」とタカをくくって、ガチャガチャやってはみたが、一向にドアは開いてくれない。
そのうちマダムもやってきて、二人してああでもないこうでもないと、あっというまに三十分が過ぎた。

若い頃からアクシデント、トラブルに巻き込まれているのは馴れているとはいえ、この状態・・はてさてどーしたもんやら・・。

マダムはのんきに「栗林に泊まる?」なんぞといってはいるが、なんで家を目の前にして向かいのビジネスホテルに宿泊せにゃならんの?

真夜中に二人で鍵をガチャガチャやっていると、なんだか悪いことをやっているような気になるから不思議なもんだ。
繁華街の方から人の声が聞こえたら隠れたりして・・・。

mado家の周りをぐるっと見回していると、あるアイディアを思いついた。
夏なのでベランダの窓は開け放してある。
壁をよじ登ってベランダから入り、中から鍵を開けられるんではないべか?

簡単に考えてはみたが、二階のベランダまではけっこういい高さがある(写真参照)。
しかし、若い頃から電気工事、左官屋など足場を登る事には馴れている。

酔っ払った勢いもあることだし、頭の中で自分は「スパイダーマン」だ「鼠小僧次郎吉」だと思いこめばなんとかなるかも。

登攀ルートを決めながら「なんで52歳にもなって自宅の壁をよじ登らなきゃなんないんだべ?」と、自問自答したが、これが一番解決までの近道だ。

で、マダムに「もう決めたことだから横から口を挟むな」と釘をさして壁をよじ登った。

結果は無事登攀成功。
内側からカギを開けることができた。
嗚呼めでたしめでたし・・・。

なにが起きても不思議じゃない人生。
突然思いも寄らないことが起きるから楽しくもある。

それにしても雨が降ってなくてよかったわ。
で、冬じゃなくてもっとよかったわ・・・。
そして落ちなくてよかったわぁ。

まだまだイケルと思った52歳の夏の終わりの1ページであった。

お巡りさんが来なくてよかった・・・。
polis









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