泥酔亭の成り行き日記

2011年11月

hisaiミチロウさんのライブも終わり、その他もろもろを片付け、あとはインディーのライブで今年も暮れる。
震災のせいか歳のせいか、はたまた混迷を深めるご時世のせいか、一年の経つのがいつもより異常に早く感じるのは自分だけだべか?

お客さんからよく聞くのは「震災以来、何をやっても腹の底から楽しめない」という言葉。
別に特別意識して自粛しているわけではないが、なにかをしようとするといつも被災地のことが頭をよぎる。

なんとかごまかして幕引きを図ろう、責任をとらないでなし崩しに済まそうとする東電の話を聞くたびにはらわたが煮えくりかえるし、ド素人ぶりが日に日に明らかになっていく民主党のやり方にもあきれ返って口が開けっ放しになる。
さらにこれから厳しい冬が来るというのに、まるで過去のことのように扱われている被災者のことを思うと胸のあたりが苦しくなる。
とにかく安易な幕引きをさせないように、多くの情報を手に入れ、姑息な詭弁に騙されないようにすることが大事だ。

このあいだ見たニュースは目を疑うようなものだった。
福島県二本松市の「サンフィールドゴルフ倶楽部」が放射能測定をしたところ、毎時2〜3マイクロシーベルトを観測したので、東電に除染するように求めて東京地裁に仮処分を申し立てた。
musyu東電の起こした事故で損害を被っているのだから、当然除染するのが当たり前と思っていたら、東電は「原発から飛び出した放射能は東電のものではない。"無主物"なので、除染する必要はない」と訴えを退けたという。

金にあかせて口の達者な弁護士を多数用意してるんだろうが「無主物」とはよく言ったもんだ!
飛び散ってしまった放射性物質は、もう他人の土地にくっついたのだから、自分たちのものではない。そんないってるわけだ。
で、裁判所は東電に除染を求めたゴルフ場の訴えを退けた。

このゴルフ倶楽部、通常三万人以上集まるお客さんも来なくなり、17人いた地元の従業員も全員9月いっぱいで退職してもらったという。
東電側は「個別の事案には回答できない」とあいかわらずの高慢ちきぶり。

こんな理屈が通れば一体どんなことになるのか?
こんな企業が誠意を持って被災者に対して責任を取ることができるのか?
被災地にいるボランティア、救助を行った自衛官、消防士等、そして被災者が被曝して発病しても、グダグタと屁理屈を捏ねてしらんふりを決めことは間違いない
金さえあれば裁判には勝てるとでもいわんばかりの傲慢な態度。
東電本社に無主物のサリンでも撒いたろか!

touden



danshi2生前に戒名を用意したり、死因まで用意してあった手回しのいい談志師匠。
もちろん遺言なんぞも早めにご用意してあった。

この本の巻末に「死亡通知」として、亡くなられた?本人のお言葉が載せられている。

「俺が死んだ。"俺"とはこの俺様、落語立川流家元立川談志のことで、死因は「不図した病」である。
「立川談志は天に召された」。
これほどの損失はいまだかつて日本にはあるまいに。

中略

泣いても〜仕方あるまい。
人間には死はつきものである。
日本中の嘆きの中に家元は天国に行く。

中略

おっと言い忘れたが葬儀には「芸者の手古舞」と「江戸囃子」、神田多町の「熊坂長範の山車」を出すように。kumasaka-kannda
戒名は「立川雲黒斎家本勝手居士」といい、経の文句は「黄金餅」の麻布絶口釜無村の木蓮寺の和尚の文句にするように。

中略

泣くな国民よ、線香の代わりにマリファナを焚け。それ吸って笑うのだ。
もう、この国も長く持つまい。で、一足先に逝く。
立川談志十分に生きた、南無妙法蓮華経。金正日萬才〜。」

なんともお見事!

さて残った遺族をはじめ、師匠の薫陶を受けた弟子たちをはじめ数多くの関係者。
遺言のどれだけを実行に移せるか?

マリファナは無理としてもせめて「反魂香」ぐらいは焚いてもらいたいものだ。
danshi




danshi生前から談志師匠が「俺が死んだら新聞の一面に載せてほしい」といっていた回文「談志が死んだ」。
スポーツ新聞の一面にデカデカと載っていた。
なんとも落語家らしい了見に頭が下がる。
ついでに死因も生前からいっていた「不図した病」にしてくれればもっとよかったのに。

勝手に師匠の言葉「人生成り行き」をディランののれんに使わせていただいている。
なんともインパクトのある言葉らしく、老若男女を問わず「いい文句」だといってくれる。
もっとも受け取り方は千差万別だが。

初めて立川談志という人を見たのは、「笑点」の司会をしていた頃だから、たぶんこんな←ころ。
なんとも頭の回転の早い人で、親をはじめ周りの大人達はみんな「生意気だ」と毛嫌いしていた。

と、そのうち国会議員になったり問題発言で辞任したり、落語協会を飛び出して落語立川流を創設したりと、忘れた頃にいつも話題を振りまいては思い出させてくれた。

次に意識したのは、マダムの読んでいた少女コミック(たぶんこれ?)→yachi
この中で脇役の一人がぼそっと「努力とは馬鹿に与えた最後の希望である by 立川談志」というシーンだった。
まさか少女漫画に立川談志の言葉が出てくるとは思わなかったので驚いた。
そしていかにも立川談志らしいひとこと。
それから思い出したようにビデオやCDを買ったりするようになった。

札幌での「ひとり会」にも一度行ったことがあったが、そのときは傑作のほまれ高い「芝浜」を聴くことができた。
しかも仲入りの時はロビーに出て、サイン会までしてくれた。
その時買った「現代落語論」に「ディラン」とサインしてもらったが「ディラン?外人か?落語わかんのかね・・・?」といっていた思い出がある。

katsu勝新太郎が死んだ時のような淋しさがある。
何をしでかすかわからないような破天荒な人間。
なにかドキドキさせてくれる規格外の男。
一生かかっても万分の一にも近づけないスケールの大きさ。
そんなスケールを持った人間が今の世では絶滅してしまった。

スティーブ・ジョブズのように、芸能界以外にはまだぶっ飛ぶような大きい人間がいるのかもしれないが、芸能界にはもう見当たらない。

うまい噺家、面白い噺家はこれからも出てくるだろうけど、「すごい噺家」は談志のあとはしばらくでてこないに違いない。

なんだかだんだんこの世もつまらなく、こぢんまりしていくような気がする。
しばらくはたくさん残してくれた映像、音源、著作などでまぎらわせることにしよう。
danshi2



michi1105いつもより遅い冬はミチロウさんとともにやってきた。
打ち上げも終わりミチロウさんを送って表に出るとすでに5cm位の雪が積もっていた。

するとミチロウさんは荷物を下ろし真っ白な雪の上に刻みつけるように、足あとでスターリンのマークを残した。
たぶん五分も経たないうちに消えてしまうだろうけど、たしかに刻まれたミチロウさんの足あと。
下水のフタとフタの間に描かれたつかの間の足あと。

この足あとのように、どんなことも次から次へと降り積もる時間の中に消えていく。
しかしこの足あとのように、今夜のライブはその場にいた全員の心に深く刻まれたことだろう。
それほどこの日のライブは壮絶なものだった。

いまだに放射能をまき散らしている福島の原発。michi1103
二本松で生まれ育ったミチロウさんの気持ちは、とてもわれわれには推し量れない。

MCで「母親に東京へ越してきたら?」といったら「それより来年はお父さんの17回忌だから絶対帰っておいで」といわれたといって笑っていた。
色も匂いも形もない放射能の恐ろしさというのはそういうことだ。

御用学者やマスコミに手を回し、「この程度なら安全」というデマを流し続けて、事件にすることもないどころか税金で助けようとまでする始末。
何百ぺん「FUCK!!」と叫んだところでとても収まるものではない。

象徴的なドアーズの「The End」のオープニングSE。
michi1106一曲目「月食」から静かにライブは幕を開けた。
そこから「天国の扉」まで息もつかせない20曲。
そして三曲ものアンコール。
たくさんの新曲のほか聴きどころだったのは、三上寛バージョンの「夢は夜ひらく」と友川かずきの「ワルツ」。
生半可にはカヴァーできないこの曲を見事に自分のものにしていたのはさすがだった。
「つくづく因果な商売を選んでしまった・・・」とMCでいっていたが、また「このごろ歌うのが楽しくなってきて」ともいっていた。

 リハーサルが終わったあと、いつもの様に二人でコーヒーを飲みながらいろいろなことを話したが、今回は健康の話が多かった。
モンスターといわれるミチロウさんもさすがに還暦を超えてからは無理が利かなくなってきたといっていた。
自転車のように走り続けないと倒れてしまいそうになるが、無理な走りはできない。

「やりすぎないようにやり続けるしかないね」と笑っていたが、この夜のライブは理不尽にのしかかってくる様々なものを、強靭な意志で押し返すような感動的なものだった。
その壮絶な姿に何度も目頭が熱くなった。

今まであまりミュージシャンと一緒に写真を撮ることはなかったが、これからは少し残していこうと思っている。
michi1107

watarudvdff高田渡の歌に、「一度も会わないことだってある。すれ違いすらしないことだってある(いつか)という歌詞があるが、半世紀以上この町に住んでいても、知らない人のほうが多い。
もっとも極端に忘れっぽいので、会ったことがあるのに忘れていることも多いはずだ。

このあいだも「陶芸展」「映画学校」「道展移動展」に立て続けに出かけたが、そこにいる人の大半は見たことのない人ばかりだった。
不特定多数の人と知り合う機会の多い飲食業を30年近く続けていてもこうだ。

かと思えば、ひょんなことで出会ったり、親しくなったりすることも多い。
つくづく人との出会いというのは不思議なものだ。

ライブを何十年もやっていたおかげで、芦別以外の人達と知り合うことが多い。
音楽という共通の趣味があるので、すぐに打ち解ける。

このあいだも三宅伸治のライブに来ていた札幌の人から、手紙と一緒に菓子折りが届いた。kasi
手紙には丁寧なお礼が書かれていたが、お礼をいいたいのはこちらの方なので恐縮この上ない。
そこにはこう書いてあった。
「〜三宅伸治さんのライブに参加させてもらい、ありがとうございました。
ディランさん恐るべし。
聞きしに勝る居心地の良さ、嬉しくて楽しくてずっと居たいくらいでした。
〜後略」
なんともありがたい事がたくさん書かれていた。

さらにこのライブで十年ぶりの友達と偶然出会ったという。
「あれ?」「人違いじゃないですよね」「うん」「ここで何してるの?」という会話だったらしい。

「伸ちゃんのライブで再会だなんてなんだかとても嬉しかったのです」と書いてあった。
ライブを続けてきてよかったとしみじみ感じた。

最後に「スーパー・スペシャルな日をありがとうございました。
またいつかお会いできる日を楽しみにしています
」と書かれてあったが、「こちらこそ」である。
miyake1107

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