泥酔亭の成り行き日記

2013年03月

このごろ暖かい日が続いて雪も融けだしたので、夏のライブの会場予定地に行ってみたけど、まったくの白一色。img14
ただ車を飛ばして雪原を見にいっただけに終わった・・・。
なにしろ今のところ11tのステージカーを舞台にしようと思っているので、こいつが会場に入る道があるかどうかを確かめたいのに、まったく想像もつかん。
なにしろ11tといえば11t、デカイことこのうえない。
まして場所を知っている人の話によれば、会場の周りは夏でもかなり足場がぬかるんでいるらしい。
なにしろ11t・・・もし埋まった日にゃ手のつけようもない。
・・といって、雪の中でモヤモヤもしていてもしかたがない。
今やれることをやるしかない。

cyu315年前の「MUSIC HARVEST '98」のときは、いまのように経験もなかったので何から何まで体当たりの力技。
いったん悩み始めると頭がいっぱいになってどうしようもなくなる。
ましてそれが夜中なんかだったら、すぐに朝まで悩み通してしまう。
もう少し神経が繊細だったら鬱にでもなっていたかもしれないが、あいにく神経はチタンでできているぐらい丈夫だったので、まったくなんともなかった。
そこで今でも守っている教訓のひとつは「夜中に悩まないこと」
そしてもうひとつ「今できることをひとつずつ片付ける」こと

元来日本人は西洋的な「未来の為に」とか「未来に向かって」とかいう生き方は向いていない。shiki1
末期がんを宣告されて絶望していたある人の手記がネットに載っていた。
そこにはこう書いてある。
「 <不治の病の病床に就いた正岡子規が見つけた武士道>
 生への執着もなく、諦めもなく、生かされている今という一瞬一瞬を、平気で生きること
 
 この正岡子規の生き方、つまり、余命幾ばくもないと宣告されたことに対して、「現実を素直に受け入れて、毎日を精一杯生きることに尽きる」、これしかないと思われたのです。
 また、子規以外の歴史上の人物たちの生き方とも向き合っていって、女史は、日本人の日本人たる所以というものに気付かれます。
たぶん、人間が抱える悩みというものは、そのほとんどが過去を後悔しているか、未来を不安に思っているのか、どちらかではないでしょうか。
001372acd73d0e5db1cc5f でも、日本人というのは欧米人のように、未来に軸をおいて、今を未来のための手段にして生きていくなんて合わない。それより、今自分に与えられた環境やご縁を感謝して受け入れて、そこで出来る精一杯のことをして生きていくほうが合っているんじゃないかと。
 過去の日本人がしてきたように、私も過去や未来を手放し、「今、ここ」に集中したら、不安から開放されたんです。」

その後不思議なことにぐっすりと眠れるようになり、検査の結果ガンが消失していたという。
眉に唾をつけるのもけっこうだが、ガンが消えたかどうかより、日本人の生き方をすれば、自分の中のDNAが日本人のよみがえるかも。

このところまわりで、鬱のため自分で命を立つ人が多い
過去を悔いたり、未来を恐れたりせず、いま生きているこの瞬間をしっかりと生き抜くことで、悩みから開放されるかもしれない。
人間生きてるうちが花!
自殺は許さん!

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玉置宏じゃないけど(古いか?)またまたこのブログも「一週間のご無沙汰」。tama
いくつか重なっていた用事も少し片付き、なんとかひと息つく時間ができた。

昨日は夏に予定している野外ライブの初のスタッフ・ミーティング。
最初から大勢集めてもまとまらないので、とりあえず中心的な人間を集めることにした。
初対面の人も多いので、まずは自己紹介から。
野外ライブもイベンターまかせにしないとなると、実にいろいろな仕事があるので、様々な分野から経験者を集めなければいけない。

今回はアートの展示もやる予定なので、そちらのエキスパートにも来ていただいた。
ステージ設営やポスター、チケットのデザイン、広告、広報、電気や水道の工事、仮設トイレの設置、駐車場の確保、警備、ミュージシャンの手配、宿泊や食事の手配、各種手続きetc・・、やらなければいけないことは山ほどある。

7月の末といっても、あっと言う間に時間は過ぎる。
meetごきげんなライブをみんなで楽しむためには、入念な準備が必要だ。
さすがに色々なイベントをこなしてきたメンバーが多かったので、次から次へとアイディアが出て頼もしい限りだ。
「今の芦別に見合った身の丈に合うこぢんまりした規模で」というお客様の意見もあったが、どうせ苦労するなら、「北海道に芦別あり!」ってところを見せつけるようなイベントにしてみたい。

まして今回は「次世代への継承」も目的のひとつ。
心意気ひとつでここまでやれる!ってなものを伝えておきたい。
このあいだも70代のお客さんがわざわざ吹雪の中来てくれて「あんたがなにかやると聞いたけど、及ばずながら自分の名前もスタッフに入れておいてくれ」といってくれた。
「町がさびしくなると、考え方まで萎縮してしまうから、あんたみたいな人に頑張ってもらいたい」と、これまたありがたいお言葉をいただいた。

豚もおだてりゃなんとやら。
こりゃあ、不肖ディランの怠け者も死ぬ気で頑張らねば!と気合が入った。
どんなものを皆さんの前にお届けできるかは見てのお楽しみ。
7月は芦別に集合せよ!
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昨夜はひな祭りだというのに、リクオのライブにあちこちからお客様が来てくれた。rikuo1301
なんともありがたいことだ。
ライブの前の二日間は天気も大荒れで、市外から来るという人もおそらく無理だろうと思っていたが、当日はまるで何ごともなかったように晴れ渡り、栗山、小樽、美瑛、富良野などから無事に来てくれた。

リクオさんとはウルフルケイスケとのマジカルチェイン・ツアーからなので、ほぼ一年半ぶりのご対面。
今回はソロライブなので、2009年の6月以来だ。
ライブは一曲目からノリノリで、テンポのいい曲で一気にお客さんをノセていく。
そしてバラッドをしっとりと聴かせ、カヴァー曲で盛り上げる。
まさしくリクオの曲に出てくる「ミラクルマン」そのものだ。
♪夜毎に奇跡を巻き起こそう 馬鹿げたヤツだと笑われよう
大人しいふりはしていても やるときゃやるのさミラクルマン ♬

MCでいっていたが、初めてリクオがディランに来たのは1998年の秋だという。
rikuo1302ということは、「MUSIC HARVEST '98」が終わってすぐということだ。
もちろん移転する前のディランにピアノはなかったので、となり町の知り合いにデジタルピアノを借りてきてのライブだった。
移転する時は絶対リクオのためにピアノを置こうと思っていた。
その話をするとリクオは「リクオ二号」という名前をつけてくれた。
リクオ二号は昨夜もシャープに音を響かせてくれた。
カヴァー曲もたっぷり聴かせてくれたが、とくに美空ひばりの「愛燦々」は出色の出来だった。
そして「ありがとう!さよなら!原子力発電所」も素晴らしい曲だった。

今年予定している夏の野外ライブでの再会を約束して、今朝また別の町へと旅に出た。
打ち上げでは、お互い泡盛を飲み過ぎてヘロヘロになってしまったが、今度は夏の芦別で飲み明かそう!
GoodBye HOBO. SeeYouSoon.

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