泥酔亭の成り行き日記

2015年03月

kizu良質でエキサイティングなテレビドラマで育ったせいか、近頃のテレビドラマにはあまりハマることはない。
・・・が、このあいだ最終回を迎えた「流星ワゴン」は録画して毎週楽しみにしていた。
内容はまぁいいとして、初回を観たときは驚いた。

香川照之演じる粗野でエネルギッシュな父親の名前は「永田忠雄」通称"チュウさん"
西島秀俊演じる真面目でおもしろみのない息子の名は「永田一雄」通称"カズ"
ドラマの中で「チュウさん」と連呼されると、なんとなく落ち着かない気分になる。
しかも今はなき自分の父親の名前が「カズオ」ときては、ドラマの中で「チュウさん」「カズ」といわれるだけで、ウチの親子のことかと思って苦笑してしまう。

o0800060013193296232しかもこのチュウさん、ワンマンで激情家・・・。
なにかことがあるたび、カズと激突する。
わが家ではこれとまったく正反対で、父親のカズは博打ずきで喧嘩っ早く、涙もろくて怒りやすいという、まるでドラマの中のチュウさんそのもの。
もっともドラマのように大成功して社長に収まるなんてことはなかったが。
で、息子のチュウはさすがに、西島秀俊のカズとは見かけも性格もかなり違っている。

これで息子のカミさんの名が「ミカコ」だったらどうしようと思ったら、一字違いの「ミヨコ」だったので少し安心した。
ツバキをまき散らし、鼻水を垂らしながら熱演する香川照之のオーバーアクション気味の演技も「大熱演」ってことで納得できるし、それに引っ張られるように気合の入った西島秀俊もよかった。
チュウさんの奥さん役の倍賞美津子、カズの奥さん役の井川遥。kenta1
どちらもいい味を出していた。

大変楽しく見させてもらったが、唯一カンに触ったのは橋本(吉岡秀隆)の息子役のこまっしゃくれたガキ。
どこでおぼえたのかそのあざとい演技には、いつもムカつかせていただいた。
もし目の前にいたら張り倒していたかもしれない。
ここいらの方言でいうと「こっぺくさ」くて「つらつけない」ガキってところか・・。

ま、それはそれとして、ドラマはめでたくハッピーエンドで終わった。
この先、あの子役が気に入ったドラマに出てこないことを祈っている

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三宅伸治ライブも大入り満員で、盛況のうち無事終了した。P1090260
市内はもとよりあちらこちらから来てくれたロック・ピープルに心から感謝します。
それにしても音楽を通じての出会いというのは、よけいな理屈がない分だけスッキリしていいものだ。
仕事がらみとか、義理事の出会いにもいいものはもあるが、どこかでそれなりの線引をしてしまう。
その点音楽の場合は「こういうの好き?」「好き!」「俺も」でOK。

このあいだ読んだ「本牧亭の灯は消えず」という本にはこういうことが書いてあった。
「大才は袖すり合う縁も縁にして生かす
中才は縁に合って縁を生かさず
小才は縁に合って縁に気づかず」


初めてロックを聴いてから、それがきっかけでいろんな人との出会いがあった。
P1090269ロックのどこに惹かれたのかは、今になってもよくわからない。年がら年中ロックばかり聴いているわけでもなく、たまにはジャズを聴いたり、柄にもなくクラシックを聴いてみたり、はたまたワールド・ミュージック古典芸能なんぞにも手を伸ばしたりする。
が、このあいだの三宅さんのライブみたいなのを聴くと、腹んなかのど真ん中にストンっと収まる気がする。
なにも考えずに「やっぱりロックだな」という気になる。

今回は前日にフル・レストアで戻ってきたギターアンプ「テスコ」チェックメイト25を今までのアンプにつないで、ステレオで鳴らすという初の試み。
なかなかに個性的な音だが、これからいろんなミュージシャンとの出会いで、いいアンプに育っていくことだろう。

オリジナルもカヴァーもよかったが、今回のライブではグラム・パーソンズの「She」が心に残った。1_3dvn6il7ol2llurc4kpvg
去年の末、ライブで歌い終わったあとたった三段の階段を降りられずにいたシーナさんに肩を貸したといっていた。
とつぜん目の前からいなくなってしまったロック・クイーンに三宅さんは「She」を捧げた。
三宅さんの歌詞とは違うけど、訳詞を載せておきます。

「She」

「彼らはよく歌を唄いながら

川に沿って歩いたものだった
彼女が自分の旅立ちを悟ったときでさえも
彼女は 人生が何をもたらすのかを
決して知ることはなく
だからといって たった一日も
それを思い悩む必要はなかった

ああ でも彼女は歌うことができた
彼女は歌った
そう、彼女には歌があった
彼女には歌があった」


肉を食べなくなってから20年ぐらい経つ。005
理由は、まぁ色々あるけど、時々いわれるような宗教的な問題ではない。
完全な菜食主義・・ヴィーガンっての?
それでもないし、もちろんモルモン教徒でもない
ただあるとき、「やめたらどうなる?」と思ってやめてみた・・ってのが一番近い感じだ。
k1415383201今でもご親切な人は、「しょっちゅう風邪をひくのは肉を食わないせいだ」とか「このあいだテレビで肉を食わないと病気になる」とかいって心配してくれたりする。

でもまぁこの20年ほどの間、他人様以上に酒を飲んで不規則な暮らしを続けてきたが、いわゆる大病ってなものにはかかったことはない。
いちおう夫婦ともども健康な日々?を送らせてもらっている。
ふと思いついてやめてみた肉食だが、いちいち説明する面倒くささ以外には特に困ったことはない。

当たり前なことだが、人間にとって食べ物ってのは空腹を満たすだけのものではない。
種類や食べ方によっては毒にも薬にもなる。
107840連日テレビや雑誌では、あれを食え!これは喰うな!と喧しいことこの上ない。
おまけに足りないものは、サプリメントとやらで補えとか・・。
いいかげんほっといてくれといいたくなる。
ほとんどのことがそうだが、答えは自分の中にある

習慣や刷り込み、思い込みで食べていたものを、自分に問いかけてみればその人なりの答えは出るはずだ。
ってなことで、今では食べなくなったもの、飲まなくなったものはたくさん出来てしまった。
たとえば乳製品は殆ど食べないし飲まない。
栄養ドリンクやジュース、缶コーヒーも飲まないし、インスタント食品も食べない。
パンも自分で焼いたもの以外はほとんど食べないし、スナック菓子も食べない。

imagesで、どうなったかというと、これっぽっちの不便もないし、病気にもなってない。
あれを食えば健康になるとかいうより、自分に合わないものをやめていくほうがずっと体にいいような気がする。
食べ物で迷うこともないし、いい節約にもなる。
しかも誰にも強制されているわけではないから、食べようと思えばいつでも食べられる。

少しずついろんなモノをやめていって、最後は自分をやめて、ハイおしまいってわけだ。
山口冨士夫も歌ってたっけ。

♬ いらないものは いらないものは 捨てていくのさ。
ただ持っていくのは おまえ・・・。


このあいだラジオで映画の紹介をやっていた。image8
タイトルは「KANO 1931」。
なんでも戦前、台湾の高校が甲子園出場した時の実話を元にした映画だという。
興味を引いたのは、一度も勝ったことのない弱小チームが、ある日本人監督の指導のもと、たった一年で甲子園出場を果たし、しかも準優勝したということだ。
しかも選手役で出演しているのは、みんな素人でオーディションも、演技力や見てくれより、野球の実力で選んだという。
それだけに試合や練習などのシーンは迫力満点だし、いまの日本の役者に見られるあざとさなどはかけらも見られない。

こういう映画は、ミニ・シアターでしかやらないんだべな・・と思っていたら、なんと旭川のシネコンで上映していた。
野球のルールをまったく知らないマダムは、最初「ほかの選択肢はないの?」と難色を示していた。
しかも上映時間は3時間もある。
仕方なしに承知したマダムは、じつは台湾がお好きなのである。
その一点のみで付き合ってくれたのだが、結局上映時間の長さなんぞはまったく気にならないくらいの熱い内容に、観終わったあとは大変満足していた。

9b387f1ed1a1f8cb_S戦後日本統治時代に建てられた銅像がすべて引き倒された時に、唯一残された銅像のモデル、水利技術者「八田與一(はったよいち)」も大沢たかおが好演している。
八田は日本人も現地人も分け隔てなく付き合い、ともに汗を流し苦労をして、当時アジア最大といわれた水利設備「嘉南大圳(かなんたいしゅう)」を完成させている。
その銅像も一般的な威圧姿勢の立像ではなく、ふだんの八田の姿そのままに、碑文や台座は無く地面に直接設置されている。

感動して帰ってきた次の日、テレビでは当時の台湾総督「後藤新平」の番組が流れた。
後藤も劣悪だった当時の台湾の上下水道を整備し、近代的な台湾の基礎を作った。
こういうのってシンクロニシティってやつだべか。
マダムなんぞはすっかり「台湾が呼んでる!」などと台湾に行く気まんまんだ。

ちなみにタイトルの「KANO」は舞台となった嘉義(かぎ)農林学校の略称を英語にしたものだ。
どこかで上映してたらぜひ映画館で見てもらいたい一本だ。
ってことで、メイキング動画も載せておきます。



っなことで、ライブからはや10日。jacket_20206759
リクオさんからいただいた「ホーボー・ハウス・バンド」のDVDを観ながら日々感動を新たにしている。
この日のリクオさんのライブは、対バンがあったせいかえらく気合の入ったものだった。
プロの気迫とでもいうのか、一音一音がパンっと張り詰めた感じがした。
それはお客さんを緊張させる種類のものではなく、逆に心地よい緊張感が伝わってきた。

プロとアマチュアの差というのは、ほんのすこしの違いだと思うが一番の違いは「音に対する責任のとり方」のような気がする。
アマチュアでもプロをしのぐような演奏をする人はたくさんいるが、どこか決定的に違う。
プロは自分の出す音に対して迷いがない。
仮にあったとしても、それも含めて全責任を取るという覚悟のようなものが感じられる。
もちろんそれはアマチュアが悪いとかつまらないとかいう話ではない。
20150302_010しかし、ライブが終わったあとの充実感は、プロとアマとでは天と地ほども違う。
ましてリクオさんのように、何十年も旅を回っている人だとよけいにそれを感じる。

とまぁえらそうなことを書いてしまったが、それはそれ。
今回もバラッドからカヴァー曲(サム・クック、南佳孝など)ロックンロールからR&B。
これでもかというぐらい盛りだくさんのライブだった。
もちろん富やんとのセッションもあり、最後はトリオ・ザ・リッチマンとの「アイ・シャル・ビー・リリースト」の大合唱まであった。

芦別の静かな夜の町に、熱いライブの音が沁みこんでいったいい夜だった。
大好きな「ソウル」も聴けたしね。
rikuo15

♬ ああすべてのソウルにいつか火が灯るように どんなやるせない夜でも
ああすべてのソウルがいつか誰かに出会うように 光は闇の中に・・・。





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