泥酔亭の成り行き日記

2015年06月

P_20150518_235459_LLホテルに置いてあった「飲食店マップ」とやらを頼りに、迷ったあげく、創業三十何年とかいう居酒屋に入ったが、これが大失敗
いきなり若い頃に、タイムスリップしたかのような空間とメニュー。
ひなびた酒場は大好物だが、ただのんべんだらりと続けてきただけのような、張りのない店にはなんの魅力も感じない。
ある意味、反面教師ってことで勉強になりました。
長くやってりゃいいってもんじゃないのね・・・。
酎ハイ一杯で席を立ち、ふたたび雨の飲み屋街に飛び出した。

雨でも降ってなきゃ、夜の出雲の繁華街をうろつくなんてのもオツだが、横殴りの雨ときては、そうもいってられない。
ここは一番、呑んべえ歴◯◯年のつわ者、マダムのカンに賭けることにした。
駅前の細い路地の奥、たどりついた看板には「縁」の文字。
さすがマダム、出雲つながりでチョイスしたのかと思ったら、「晩酌セット5品付き お一人様2000円」に惹かれただけだったらしい・・・ガチョン。

P_20150518_221712さて、中に入るとカウンターの中には、和服姿の妙齢のご婦人が2人
L字型のカウンターには、常連とおぼしき男性が、2、3人いた。
カウンターの棚を見ると、北海道ではあまり見かけない銘柄の日本酒があったので、さっそく燗酒をもらうことにした。
酒の肴が五品だが、ママさんのいうには、化学調味料は一切使わず、野菜類も自分の畑で作ったものか、知り合いの有機栽培の農家から仕入れたものだという。
上品ながら、酒飲みのツボをしっかりと押さえた味付けに、自然と酒が進む。P_20150518_221850

いつのまにか常連さんたちと話が弾み、和やかな雰囲気に、まるで十年も昔から通っているような居心地の良さを感じた。
関西からやって来たという三人組が入ってきてから、店内はさらに賑やかさを増し、カラオケが始まると大いに盛り上がった。
マダムの隣は九州から来たというおじさん。
いつのまにやら、マダムと「銀座の恋の物語」を熱唱。
どこの町にも必ず一人はいる、あたりは柔らかなのに強引な酒飲みだ。
こちとらの隣には、古くからこの地で稼業を張っていたという、初老の渡世人
地元の人達の歌と話を肴に、地酒をグイグイ呑んで、初めての出雲の夜は更けていった。

帰りしなに女将さんから、「出雲大社はラフな服装では、いけないから気をつけて」といわれた。
・・といわれても、あいにくアルマーニは持ってきてないし・・と、思っていたら、「これを着けていれば、正装したことになるから、持っていきなさい」といって、「出雲大社」と書かれた「襟?」をくれた。

ってなことで、女将さんや常連さんのおかげで、初の出雲の夜はすこぶる楽しいものになった。
さすがご縁の町、出雲!
なにからなにまで、ごっつぁんでした。
 
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P1501小判型の大判焼き?(大判焼きを食べた人のブログ)を車の中で、堪能しながら、後ろ髪を引かれる思いで、話し好きの人たちの町、岩国を離れた。
しかし、ほんっとに話し好きな人たちだったわ。
話しかけられたそうな顔をしているので、つい話しかけると、延々と話し込んでくれる。
男女を問わずにこうなのだから、ここ錦帯橋近辺は、きわめて警戒心の低い人達が住んでいると思われる。
住むにゃなんともよさそうな町ですこと。

img_0心配していたオスプレイが落ちてくることもなく、無事岩国を離れた。
これでいちおう山口県にも足を踏み入れたってことで、広島、山口二県制覇達成?
いよいよ強くなる雨の中を、今度こそ出雲大社を目指して、約300kmの道をひた走る。
近頃のレンタカーには、ほとんどナビが標準装備なので、助かることこの上ない。P_20150518_125342
ただでさえ方向感覚の乏しい、マダムによる助手席ナビ だった日にゃ、気がついたら関門海峡をわたっていた・・なんてことがあっても不思議じゃない。

県境の山を超えたあたりから、雨に加えて風も強くなり、台風さながらの大荒れ。大国主命に嫌われてるんだべか?と、不安になったが、「お清め お清め」と、いいように解釈することにした。
だんだんひどくなる雨風の中、ようやくホテルに到着。
近所に温泉があったので、旅の疲れを洗い流して、さて初めての出雲の夜
縁結びの里、出雲では一体どんな出会いが待っているやら。
ますますひどくなる横殴りの雨の中、タクシーを呼んで町へ出かけた。

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小雨そぼ降る錦帯橋に着いて、河原にある駐車場に車を停めた。P_20150518_120510
橋の入口で三百円の通行料を払い、いざ渡ってみると、いやはやその立派なこと。
なんでも実際に見てみなきゃわからんね。
さすが歌のタイトルになるのも、うなづけるたたずまいだ。
橋の中ほどで川をのぞき込むと、その透き通った美しさ。
雨の日でこうだから、晴れた日などはそれは素晴らしい眺めに違いない。
渡りきったところにも、小さな町があり、お土産物屋食事の店なども数軒ある。

ふと川岸を見ると、柳の木の下に看板があり「巌流ゆかりの柳」と書いてある。
佐々木小次郎がここで、秘技「つばめがえし」を会得した場所と書いあるが、あとから調べたところ、作家の吉川英治が、ここの柳を見て創作したものらしい。
ってことは、佐々木小次郎ゆかりじゃなく、吉川英治ゆかりの柳って方が正解かも。
なにしろ錦帯橋が架かったのは、小次郎の死後60年も経ったあとってんだから・・。

P_20150518_120236ほかにも枝が真横に伸びた「槍倒し(やりこかし)の松」なんてのもあった。
なんでも、大藩の大名行列の「槍持ち」が小藩の岩国藩を通行するとき、槍を倒すのが礼儀なのに建てたまま通行する者がいて、これに憤慨した岩国の武士が、槍を倒さなければ城下を通れないように、わざと邪魔になる松を植えたのだと書かれている。
小藩といえども侮るなという、岩国武士の意地を現している。
・・・といわれているが、この話も日光街道の宿場町、千住の「槍掛けの松」の由来に似ているので、どちらが本当かはわからないらしい。P_20150518_122157

っな感じで、錦帯橋を満喫したが、先ほどから気になっていたのは「岩国寿司」の文字。
さて、どんなもんだろうかと検索したら、われわれの好きな押し鮨であることがわかった。
色々ある中の一軒を選び、初めての岩国寿司を堪能したが、心残りは運転があるため、これをつまみに酒を飲めなかったことだ。
町もこじんまりして、いい感じだったので、いつかここで腰を落ち着けて一杯やりたいと思ったわ。

酒屋の前にも、大判焼き屋の店内!にも昼間っから酒を呑んでるゴキゲンなお父さんたちもいたことだしね。

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P_20150518_075011_HDR平和記念公園で、改めて戦争のという暴力の悲惨さを痛感し、改めて平和のありがたさを思った。
このままホテルに戻ろうかとも思ったが、近くに広島城があることを知り、せっかくなのでそこまで足を伸ばすことにした。
地図アプリによると、およそ2kmほど。
マダムには「すぐそこ」ということにして歩き出したが、ふだん運動なんぞはほとんどしないので、着いた頃は息も絶え絶えの有り様だった。

で、そそくさと散策と撮影を済ませて、ホテルへ向かった・・が、やはり遠い。
P_20150518_083606活性酸素が出始めるちょうどその頃、マダムが路地にある昭和な喫茶店を発見。
よろけるように入って、モーニングで一息入れる。
表通りには、今風の洒落たチェーン系のコーヒー屋も何軒かあったが、やはりこちとら生粋の昭和っ子
こういう風情の喫茶店がしっくり来る。

そんなこんなでようやくホテルに戻り、荷物を詰めて、広島駅のそばにあるレンタカー屋へ行き、一路錦帯橋へ向かった。
広島駅から車で約50kmほど、高速を使えば一時間もかからない。
途中で予報通り、雨がポツポツと降り始めた。
そういやぁ「雨の錦帯橋」なんて歌もあったことだし、少しパラついていたほうがオツでいいやってんで、ほどなく岩国に到着。
50kmってぇけど、初めての道のせいか、なんだかすごく遠く感じたなぁ・・。

1673年に架けられてから、2度洪水で流され、1953年に再再建された、これが三代目らしい
P1000286帰ってきてから、改めて錦帯橋のことを調べていたら、そこに使われている和釘やかすがいは、四国松山の鍛冶職人「白鷹幸伯(しらたかゆきのり)」さんが打ったものだという。 
最後の宮大工といわれた名人「西岡常一」棟梁に「千年保つ釘を打ってくれ」といわれた話を聞き、一度お会いしたく、2007年に白鷹さんの作業場を訪ねたことがある。
初対面のわれわれを家にあげていただき、貴重なビデオまで貸していただき、千年釘ともいう和釘までいただいたことを思い出す。
偶然のようにも見えるこういう結びつきも、出雲の参拝の途中と思えば、不思議な縁を感じてしまう。
白鷹さんの打った土佐造りの包丁は、今もディランで使わせてもらっている。

岩国市のHPには、「錦帯橋は一本の釘も使っていないと、よくいわれる」が、実際は約29,000本の和釘やかすがいが使われていると書いてある。
だれがそれを言い出し、どうして広まったのかは定かではないらしい。
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P_20150517_202732_HDR「源蔵」で呑んだあと、ちょいと商売柄、広島の夜の町を観察してみることにした。
街のあちこちには意外なぐらい、オープン・テラスの飲み屋が多かった。
北海道じゃストーブを焚いてるってのに、ここ広島じゃ夜風に吹かれながら、星空の下ワインなんぞを嗜んでいる。
暖かいところで飲み屋をやるってのは、こういうところがいいねぇ。 
何軒かを覗いたが、オープン・テラスの店はどこも満席。
ホテルに帰る途中に、洒落た店があったので、看板を見ると「ドイツ・パブ」みたいなことを書いてある。
うろつきまわって、喉も乾いたことだし、本場ドイツのビールでも飲んでやるべぇと、ドアを開けた。
P_20150517_213602_LLさすが看板に謳っているだけあって、たくさんのビールがあったので、適当に頼んで、ムール貝のスープ煮?やムール貝のパスタなんぞをつまみに小一時間ほど飲んで、ホテルに帰った。
初日にしてはなかなかお行儀のよいことである。
それにしても、ムール貝ってドイツの名産なのか? 

P_20150518_113831部屋に戻ってから、明日の天気を調べると、どうやら天気は午後からかなり崩れるらしい。
せっかくだから、山口県にも足を踏み入れたいので、広島から近い岩国の名所「錦帯橋」に行くつもりだった。
で、そのあと一路、今回のハイライト出雲大社でご参拝。
明日の午前中は晴れるらしいんで、ここは健康的に朝の散歩としゃれ込むか。
ってんで、その夜はいつもの悪癖、追加のコンビニ酒はよして早々?と眠りについた。

で、からすカァで夜が明けて、窓の外を見ると今のところいい天気。P_20150518_070944
ホテルのそばが川だったので、そのまわりを少し散歩するか・・・と、歩き出したらいつのまにか広島平和公園に着いてしまった。
今日は行かねばならないとは思っていたが、まさか散歩の途中に足を踏み入れるとは・・。
遠くには写真などで何度もみた原爆ドームが建っている。

昭和39年から、核廃絶の祈りを込めて、燃え続けている「平和の灯」や、多くの折り鶴のそばに立つ「原爆の子の像」などにお参りしたが、そこに書かれている「これはぼくらの叫びです。これは私達の祈りです。世界に平和をきずくための」には言葉を失うしかなかった。

核廃絶どころか、経済最優先で、原発を再稼働し、平和の名のもとに軍備強化を繰り返している21世紀の日本には、原爆の子の叫びは届かないらしい。

フェイス・ブックにも載せたが、原爆ドームを写した一枚の写真は、加工もしていないのに、不思議なブレ方をしていた。
これも多くの声なき叫びの一つだったのか。
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