泥酔亭の成り行き日記

2015年08月

img146昼飯を食いに行ったさきで「夫婦でブログ読んでます!」とかいわれちゃって、大いに恐縮してしまった。
こりゃあ今まで以上に高尚な内容にして、格調高くお届けしなくっちゃ!
とは思ったものの悲しいかな、高校中退という輝かしい学歴では、いくら背伸びしてもたかが知れてる。
まるで白木みのるが高下駄を履いているようなものだ。
どうせすぐに地金が出るだろうから、今まで通りにやったほうが無難ってことだ。
世の中リコウぶった馬鹿ほどみっともないもんはないもんね。sakai

っなことで、これからも今までどおり等身大で書くことにします。
さて作り物と生身の妖怪どもに、後ろ髪をひかれつつ境港を後にしたわれわれは、来た時の反対側のルート、北側の湖畔沿いに車を走らせた。
宍道湖は日本でも指折りの夕日の名所とか。
玉造温泉でのんびり湯に浸かっているうちに、今はまだ高いお天道さんも沈んでくれるだろうと、ナビを頼りに玉造温泉郷に向かった。

そういやぁナビを借りた時にもらった注意書きに「ナビはあくまでも目安です。参考程度にお考えください」ってなようなことが書いてあった。
たしかに今までもナビを信用して延々と熊野の山の中を走り回ったことや、近そうに見えたがそれは距離だけのことで、いざ走ってみると、昼なお暗い恐ろしく曲がりくねった峠を5時間もかかって越えさせられたこともあった。
あとで聞くと、地元の人も足を踏み入れないという落石注意の峠だった。
今回も過度に信用していたわけではなかったし、それはそれできちんと温泉の駐車場に案内していただいた。
onsenしかし、その見上げるばかりのデカイ温泉の入口がどこにも見当たらない。
ふと横を見ると幅の広い石の階段がある。
これを登っていけというのかと見上げると、どう少な目に見ても4、5階分の高さはある。
旅の疲れで頭がよく働いていないわれわれは、温泉入りたさにその階段をヒイヒイいいながら登り始めた。

やっとのことで登り終えると、その謎は解けた。
ナビが案内してくれたのは、温泉の裏口だったのだ。
あとで受付に「裏口に車を停めた人はみんなあの階段を登るんですか?」聞いてみたところ、まるで山下清でも見るような顔をして「横にエレベーターがありますよ」といわれた。
あまりにデカイ階段にばかり目がいって、その反対側にあるちーーーさな入り口が目に入らなかったようだ。
もちろん入浴後はしっかりエレベーターで降ろさせていただきました。

中の造りも奇妙で、立って入る露天風呂はお湯の入れ替え時とかで、入っている間にお湯がドンドン増えていってまるで地下牢で水責めにあっている明智小五郎の気分が味わえた。
ありがとう玉造温泉!
風呂あがりに散歩した温泉街の真ん中を流れる清流が荒れた心を沈めてくれました。
これも妖怪どものたたりか?
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IMG_0796猛暑だ、酷暑だ、炎暑だの、やれゲリラ豪雨だ、落雷だ、突風だの慌ただしかった夏もようやく終わりに近づいてきた。
日の暮れるのも早くなってきたし、なにより朝晩の冷え込みがきつくなってきた。
春先からこっちは、ハーベストの件で夏を謳歌するどころじゃなかったし、その後もやれお盆だなんだと忙しくしているうちに、もう8月も終わりだ
あといくつかのイベントをこなしているうちに、夏はすっかり終わることだろう。それにしても今年もよく遊んだわ。
ってまぁ、勝手に大晦日みたいな気分に浸っちゃったけど、まだ今年も何ヶ月か残っている。

i320さて途中で放り投げていた「中国地方の旅」の続きでもボチボチ書きだしてみっか。
ってんで、どこまでいったか読み返してみたら、宍道湖のうなぎで腹を満たして、妖怪どもの待つ「境港」に車を進めたところだった。
宍道湖の周りをぐるりと迂回して、えらく高い陸橋?を超えると眼下にお目当ての境港が見えてきた。
港にはなにやらバカでかい豪華客船が停泊している。
それにしてもあんなマンションみたいなものが、よく水に浮かぶもんだこと。

yokai01境港は想像していたよりも、小さな町で交通量も少ないし、それほど賑わっているようには見えなかった。
こんな感じだったら「妖怪ロード」とやらも、案外こぢんまりしたものかもしれないと、ナビを頼りに近くまで行ってみたら、そこだけがまるで縁日のようににぎわっている。
車を停めて妖怪ロードに行ってみると、驚いたことにそこはまるで人種のるつぼだった。

昨今流行りの中華系をはじめとして、白人、黒人、インド人からアラブ系・・・種種雑多な連中が、お国訛りも賑やかに歩きまわっている。
初めての妖怪ロードに驚くというより、この光景こそがまさに妖怪の世界のようだった。
道路の真ん中だろうか歩道だろうが、まるで自分のうちのように大声で叫び、無遠慮に写真を撮りまくる中華系を尻目に、お土産物屋に入り「いつもこんな賑やかなんですか?」と聞くと、今日港P_20150519_152638_HDRに入ってきたあのデカイ客船から、この妖怪どもがやって来たという。

フルボイスで交わされる数知れない異言語の中、妖怪グッズを買ったり、オブジェを写したりしていると、いったいどこの世界にいるのかわからなくなる。
今振り返ってみてもなんとも不思議な世界であった。

これで鳥取県にも足跡を残すことができたってんで、中国地方四県はひとまず制覇?したってことにしてもよかろう!
でもって妖怪どもの毒気に当てられつつ、次の目的地「玉造温泉」に車を走らせた。

それにしても日本は広いねぇ。

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だれが読んでるんだかわからないブログだけど、ちょいとした備忘録とボケ防止で思いついたことを書いている。
文章も書かないとすぐに書けなくなるし、考えをまとめる癖もつけとかなきゃ、どんどん頭ん中が取りとめがなくなっていく気がする。
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昨日のブログで、98年のミュージック・ハーベストを思い出したけど、今にして思えばあの頃はまだ40歳になったばかりの頃だった。
なにがきっかけだったかはもう憶えてないけど、好きなミュージシャンを集めて野外ライブをやろうとふと思い立ったわけだ。
で、店のお客さんに手伝ってもらって始めたハーベストだったが、面白いぐらいにトラブルの連続で、自分の甘さを毎日のように思い知らされる日々だった。

でも出演を快諾してくれたミュージシャンや、スタッフのみんなに励まされて、なんとか無事に終えることができた。
出演は、藤井康一&関ヒトシ(この2人にベイカーショップブギのベースとドラムが参加してくれた)、キング・オブ・ジプシー「南正人」、生粋のブルースマン「シバ」、フォークの詩人「友部正人」、御大「高田渡」、関ヒトシさんがサポートをしてくれた「西岡恭蔵」、そしてトリは「シーナ&ザ・ロケッツ」。
今、思い出しても夢の様なライブだった。
打ち上げの挨拶で高田渡さんが「こんなメンバーが集まることは今までなかったし、これからもないと思う。でももう一度このメンバーで集まることができたら素晴らしいと思います」といった。
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その渡さんも今はなく、ゾウさんも次の年に亡くなった。
そして、今年シーナさんもいなくなってしまい、あのメンバーで集まることはできなくなってしまった。
しかし、その時に植え付けられた感動は15年後、新しいハーベストで芽を出すことになった。
その新しいハーベストも三回目の今年は、若手が全面的に取り仕切り、新しい伝説を作り上げてくれた。

98年、片付けがすっかり終わり、なにもなくなった上芦別公園でスタッフたちと別れ、車の中で恭蔵さんにいただいたニュー・アルバムから「グローリー・ハレルヤ」が流れてきた時の気持ちは、今でも言葉ではうまく言うことができない。
♬ 愛は生きること・・・と、歌ってくれたその人はもういない。

kaminari今日は朝の暗いうちから雷がガラガラガラガラと大暴れしている。
普通は一時間もするとおとなしくなるものだが、昼過ぎになってもまだ元気に暴れまくっている。
おまけに雨の方もものすごく、土砂降り状態が今も続いている。
いくら災害の少ない芦別とはいえ、ここまで降られるとさすがに不安にもなってくるわ。

今から三十年以上前だったが、この芦別でも道路が冠水したり、陥没したりするぐらいの水害があった。
自然がいったん暴れだすと、人間はなすすべもなく、ただ右往左往するしかない。20141003150118ooippp

いくら政治家や役人が「安全」と太鼓判を押してくれても、台風、豪雨、津波に噴火、地震、雷などの前には何の役にも立たない。
そんな中で川内原発を再稼働させてくれるとは、じつに度胸のある人達が権力を握っているものだ。
こういう人たちが無謀な蛮勇を振るって、この国をまた戦争に巻き込んでくれるかもしれない。
29069災害には為す術はなくても、権力者には立ち向かうことが出来る。
しっかりと頭をひねって、右左を見きわめないと、とんでもないところへ連れていかれてからじゃもう遅い。
終戦記念日を前に間断なく鳴り響く雷鳴を聞いていると、なにかの啓示のようにも思えてくるね。

で、年明けから準備をしてきたミュージック・ハーベスト2015も晴天の下、無事終えることができた。
IMG_0858ディランの30周年を記念して開催した2013、若いスタッフとの共同作業だった2014、そしてバトンタッチを果たした2015。
これでひとつ肩の荷が下りた気がする。
下準備、出演者の選定、協賛集め、出店募集などほとんどの作業を若いスタッフたちが中心になって取り仕切った。
不手際などもいくつもあったが、事故やケガもなく無事終えられたことを今は喜びたい。
撒いた種から顔を出した青い芽が、これからどう伸びていくのか楽しみだ。

それもこれも平和であればこそ。
戦争を知らない子供たちと歌われた俺達だが、最後まで戦争を知らずにこの世を去りたいものだ。
そしていつか世界中が戦争を知らない子供たちだらけになることを願っている。
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