泥酔亭の成り行き日記

2016年03月

go今のところミヤネ様からの苦情もないようなので、号泣謝罪会見はしなくてもすむようだ。
考えてみりゃいやな奴の話をするより、好きな人の話をするほうが格段に気分がいいってのはわかってはいたが、このあいだからの不倫問題などで、少しムカついていたかもしれない。
人のことはほっとけ!っていっといて、ミヤネの悪口を書くなんざ、言行不一致の極み。
心から深く反省いたします。
これからも低レベルな話題をお茶の間に提供し続けてください。
こちらもなるべく目に入れないように致します。

ってなことは、もうそっちに置いといて、27日の三宅伸治のロック・ショーには大いに興奮させていただいた。
今さらながらロックはいいねぇ。
スカッとして酒も旨いわ。
shin1602今回も道内外から大勢のお客さんが来てくれて、満席の大盛況。
ツアー・タイトルは「KEY TO THE HIGHWAY」。
今回は独自に「ハイウェイの鍵を手に入れて、一緒に旅にでよう」というサブタイトルを付けさせていただいた。

作者はビッグ・ビル・ブルーンジーともジャズ・ジラムともいわれているブルースのスタンダード・ナンバー。
訳詞とはちょっと違うが、なぜ三宅さんがツアータイトルにしたのかを考えていたら、このフレーズが浮かんできた。
するとライブのMCで三宅さんが「コレがまさに!俺が言いたかった事、そういう事なんです。さすが!ディランマスターですね」といってくれた。

shin1604二度のアンコールを含む全20曲の熱いライブが終わり、その余韻を残したまま怒涛の打ち上げへ突入。
ほとんどのお客さんが残って、打ち上げも満席状態
ツアーの最終日だったせいか、珍しく三宅さんも日本酒を飲んでごきげんの様子。
ファンの人達もほろ酔いの三宅さんからふだん聞けないような話をたくさん聞けたようだった。
楽しい時間はあっという間に過ぎて、気がついたら朝の四時を回っていた。
名残惜しいが、またの再会を約束して別れた。

9/11には三宅さん主催の野外ライブ「希望と太陽のロックフェス(リンクは2015)」が宮崎で開催される。
今年こそはなんとか都合をつけて行きたいもんだ。
2015ロック1(1)

15088226037_969f1bff01昼間の情報番組とやらは、ほとんどというよりまったく見ないけど、その中でも特に虫唾の走るのが「ミ◎ネ屋」だかいう番組だ。
あ、別に個人の好き嫌いのことだから、とくに伏せ字にする必要もないか。
宮根誠司とかいうのが司会をやっている番組だが、最初の数回を見てしまってから、あまりの下衆かげんに二度と見なくなった。
食堂などのテレビで映っているときなどは、とたんにメシもまずくなるぐらい嫌いだ。

493a9d680219c5c15ae437c94c0b69ee_707今日も新聞のテレビ欄を見てたら「撮られた、しょんぼりショーンK、誕生日ナイト路上号泣謝罪」なんていう下品な見出し。
字面を見ているだけで、あの品のない顔が思い浮かんで、気分が悪くなるわ。
他人の不幸をさも心配そうな表情を作りながら、根掘り葉掘り聞き出すあの物欲しそうな顔つき
台風や事故、災害などの中継を見ている時に見せる計算づくの姑息な目つき
どこのだれがこんな番組を見てるんだかしらないけど、低俗の極みとしかいいようがない。

今回のショーンKだかの学歴詐称問題も、なにがそんなに問題なのかよくわからない。
maxresdefaultだまされたっていっても、テレビ局が騙されてたってだけで、人が死んだり、金をだまし取られたりしたわけでもない。
嘘が悪いっていったって、だれかなにか実害があったのか?
少なくともミヤネ屋あたりに、とやかくいわれるようなひどいこととも思えない。
謝罪ったって、社会にどんな迷惑をかけたんだ?

ついこのあいだは、ベッキーをとことん追い詰めていたと思えば、お次はこれらしい。
hqdefaultベッキーの時だって、関係者に謝るだけでいいと思うんだが。
国会議員から芸能人まで、毎日毎日不倫問題ばっかり取り上げてるけど、そんなに重要度の高い問題なのか?
ってより、ミヤネ自身が不倫、隠し子問題で叩かれてたっけ。
そんなこともあるせいか「僕の率直な感想は、あのベッキーでも軽率な行動を取るんだ。なんかホッとした。 ベッキーも人間らしいんだ。今まで完璧だったので、その点で普通の女の子だったんだな」と、不倫には寛大なご感想を述べていたようだ

つい色々と筆がすべったけど、こちらも宮根誠司になにかされたわけでもない。
もし目に止まって気にさわったら、謝罪会見でもするか。

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sougeiSpecialMainVisual_title3月といえば、卒業だの転勤だのなにかと別れの時期だ。
年々町が小さくなっていくわが芦別では、出会いよりも別れのほうが多い。
せっかく知り合いになれたのに、ほんの数年でお別れということもある。
が、こういう商売なので、転勤や引越したあともわざわざ訪ねてきてくれる人も多くいる。
なんともありがたいことだ。

4411439このあいだは長年この町で外科医を続けていた先生が、春に芦別を去ることになるというので、一緒に働いた先生や看護師の人たちが、芦別に集まった。
勤めていた時期は違うが、みんな先生に薫陶を受けた人たちばかりだ。
以前、その先生に「みなさん仲がいいんですね」というと、「外科は手術とかがあるから、チームワークが大事だからね」といっていた。
もちろん先生の人柄も大いに関係していると思える。
言葉数は少ないが、若い人たちにほんとうに慕われていた。
今回集まった人たちもその当時はみんな若くて元気がよく、よく朝まで元気に飲み明かしていた。
その人たちも結婚して退職したり、ほかの町に転勤したり、ほとんど芦別には残っていない。

14-00072パーティーはスターライトホテルで行われているので、町までは流れてこないだろうと思っていたら、11時近くに電話があり、町まで車で帰る人がいるので、それに便乗して何人かがやって来るという。
懐かしい名前だったので、楽しみにしていたら、なんと20人近い人達がやってきた。
どの顔も久しぶりにみたが、あっという間にあの時代が蘇ってきた。
連日の送別会ラッシュで疲れているはずの、主賓の先生も一緒に来てくれたのには恐縮した。

先生の教えを受けた医師たちも、いろいろな場所で活躍しているという。
聞いてみると、近くの病院に勤務している先生も何人かいた。
「近いんですね・・今度ぜひ」とは言ってはみたものの、こればかりは付き合いで行くところではない。
元来丈夫にできているせいか、外科にお世話になることは今までほとんどなかった。

とはいえ、せっかくの縁なのでどこか診てもらおうかなぁ。
こういううれしい再会も別れがあってこそってことか。
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20090603_532575どんなきっかけだったかよく憶えてないけど、いつからか職業の呼び名が一度に変わっていった。
看護婦が看護師、スチュワーデスが客室乗務員、保母が保育士、助産婦が助産士・・。
近ごろはOLなんかもいけなくて、会社員と言うようになってるとか。
ネットで調べてみたところ、どうもこれは99年の雇用機会均等法の改正かららしい。
当時の厚生省は男女の職域を限定することになったり、職域の固定化をはかることになるとして「女性○○」などの職業名を避けるよう運用ガイドラインなどで指導していたんですと。

hoshiそれ以前には差別用語なんてのが問題になったこともあった。
やれ土方、日やとい人夫がいけないの、乞食や百姓、きちがい、びっこ、かたわ・・・ってこれ以上書いたら、叱られそうだけど、それこそ星の数ほどある。
wikipediaによると「他者の人格を個人的にも集団的にも傷つけ、蔑み、社会的に排除し、侮蔑・抹殺する暴力性を持つ言葉」が差別用語らしい。
国籍、人種、少数民族、被差別階級、性別、宗教、同性愛者、障害者、特定疾患の罹患者、職業など、特定の属性を持つ人を、否定的差別する言葉を使ってはいけないってことだ。
といっても、明確な基準はないので、悪気なく使っていた言葉もある日「差別だ!」なんぞといわれる可能性もある。
なんともあずましくない世の中だ。

で、この言葉狩り、どんなふうに発生したのかくわしく調べたら、やっぱりアメリカ様が発祥みたいだ。
tumblr_mdikhm7E8a1qbb6pao1_500人種、性別、障害者、先住民などあらゆる差別に反対する運動が「ポリティカル・コレクトネス(政治的正しさ)」といって、1970年代に発生したらしい。
黒人はアフリカン・アメリカン、木こりは木材燃料提供者、インディアンはネイティブ・アメリカン、さらに笑えるのは薄毛を頭髪的に不利な人なんていう。
ここまでいくとギャグとしか思えないが、当人たちはいたって真面目で、どんどん過激に言葉狩りに精を出しているようだ。

なんでもアメリカの真似をしたがる日本のリベラルな知識人たちが、このポリティカル〜を日本に持ち込んだらしい。
ダメといわれりゃ盛り上がるのが人間社会ってもんで、いまやヘイト・スピーチや言葉狩りが花盛りだ。
やる方も反対する方も、どっちも脳みそ的に不利な人たちとしか思えんのだが・・・。
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47図らずも二年分やってしまった確定申告も、ようやっと締めにさしかかり、最終チェックを残すのみとなった。
毎年のことながら、なかなかにめんどうな代物だわ。
つくづく事務関係の仕事につかなくてよかったなぁ。
考えてみりゃ、一日いっぱい机に座って、ああいうことを毎日のようにやっている人たちっていっぱいいるんだべね。
どんな仕事も大変だろうけど、ああいうのは自分にゃ絶対ムリだろうな。

仕事で思い出したけど、このごろハマっているのは、ロシア語の同時通訳だった故米原万里さんの本。
0406なんのきっかけで興味を持ったか忘れたが、言葉を仕事にしてたせいか、なにを読んでも面白い。
親の仕事の都合で、言葉の通じないプラハで子供時代を過ごしていたことがきっかけで、言葉によるコミュニケーションの大切さを学んだという。

図書館で見つけた「愛の法則」という講演集は、話し言葉で書かれているので、読みやすく内容も素晴らしい。
惜しむらくは、このタイトル・・・。
中身がこれだけ秀逸なのに、このタイトルはないんじゃないべか?
男女のことを書いてあるのは、第一章の「愛の法則」だけで、あとはぜんぜん別のテーマが語られている。
第二章は「国際化とグローバリゼーションのあいだ」、第三章は「理解と誤解のあいだ」、第四章は「通訳と翻訳の違い」と、テーマは多岐に渡っている。
中身を知らずに「愛の法則」なんて、タイトルだけだったら間違いなく手に取らなかったはずだ。

original6_img003視点もさすがで、第二章では「アメリカのいうグローバリゼーションとは自分たちの基準を押し付けることであり、日本人の思うグローバリゼーションは世界の基準に自分たちを合わせることだ」と語っている。
国際化といっていながら、その時点でもっとも強い国(今はアメリカ)に、自分たちを合わせることをグローバリゼーションと思っているという。

だから、時々「英語を公用語にするべきだ」なんて言い出すのが現れる。
この本のおかげで知ったのだが、こういうことを言い出したのは、つい最近のことではなく、明治時代からこういったことを言い出す連中が出てきたという。
global_english_peopleそれも北一輝は日本語を捨てて「エスペラント語」にすべきだといい、志賀直哉は「フランス語にせよ」と言っていたらしい。

日本人の細やかな精神を表現でき、自国の文化が多く詰まっている自国語を捨てて、どういう思考ができると思ったんだろう?
自国語を強制的に奪われた国もあるというのに、驚くほどの劣等意識だ。
それでなくても日本語の許容力は、漢字が入ってきた時の訓読みの発明、オランダ語から英語、ドイツ語まで取り込んでしまうカタカナ語の利用まで、かなり高度な言語といえる。

米原さんのお陰で、学生時代にまったく興味がなかった文法なんぞを勉強したくなってきた。
たぶんしないと思うけど・・・。

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