泥酔亭の成り行き日記

2016年04月

img_0親父が大工だったおかげで、家にはいつも日本酒が大量にあった。
むかしは家を建てるとなると、出入りの業者が棟梁のところに酒などを付け届けしたおかげだ。
業者といっても、左官屋、電気工事、水道工事、塗装屋などたくさんあるから、台所はすぐに日本酒で一杯になる。
その当時の日本酒は、どれもベタ甘い、俗にいうアルコール添加の三倍増造酒
頭痛と吐き気がもれなく付いてくるという恐ろしい代物だったので、近所に配ろうにも貰い手が少ないので、つねに大量の日本酒が溜まっていた。

親父やその仲間たちはもっぱら焼酎を飲んでいたので、これまた日本酒はいっこうに減らない。
ってなことで、酒を飲むようになった頃、親父から好きなだけ持っていけというお許しが出た。
なもんで、若い頃から日本酒にだけは不自由したことがない。
またそれを当て込んで、悪友たちが夜な夜な集まり、毎夜の酒盛り
で、次の日はお約束の二日酔い。
これが日本酒というものだと思い込んでいた。

ent1510270004-p5その頃の代表的な酒といえば、石原裕次郎と宇野重吉のCMでおなじみの「松竹梅」
田宮二郎の「酒は大関 心意気」、鮪の刺身を切りながら「とろ!とろ!とろ神泉・・うーんベタ甘くないね」のとろ神泉、切れのいいやつ「多聞」、富士山をバックの「山は富士なら 酒は白雪」、かっぱのCMの「黄桜」、美味しおすえ!の「玉の光」、地元北海道では「男山」「千歳鶴」「北の誉」などがあった。
それぞれ若干の違いはあるものの、どの酒も飲むと口の周りがベタベタする甘口・・・というより、マズ口だった。

それがある日、だれかのおみやげで、初めて地酒というものをいただいた。
tsuunosake-03四国の「梅錦」という酒だった。
さっそく悪友に電話をして、二人で飲むことにした。
そいつが持ってきた「鳥よし」のおでんを真ん中に置き、湯のみでぐいっと飲んでみて、その清らかな味に驚いた。
俺たちが今まで飲んでいたのは一体何だったんだと顔を見合わせ、一升瓶があっという間に空になった。

今では日本中の地酒が、わりと簡単に手に入るようになった。
なんともうれしい世の中になったもんだ。
とかいって、また今夜も飲む。

miyaneya1このあいだ、このブログを読んでいるお客さんから「なんでそんなにミヤネ屋、嫌いなの?」と聞かれた。
もしかしてミヤネの熱烈なファンか?と思ったら、ほとんど見たこともないという。
百聞は一見に如かずで、見りゃすぐにわかると思いますけど」とは言ったものの、人の好き好きなのでどうなったことやら・・・。
で、そんなことをしているうちに、やはりミヤネ屋、さっそくやらかしてくれた。

ミヤネ屋が「被災地で焼芋屋に並ぶ子供」を追い払って取材 / 大雨で子供がズブ濡れになる
miyaneya5やるなミヤネ屋!
全国的に名前を売ってくれたわ。
しかもネット上で炎上したもので、謝罪文のようなものを掲載したが、それがまた大炎上。
その謝罪文?ってのがコレ。
少女2人は焼き芋の炊き出しを手伝っており、 列に並んではいませんでした。
インタビューが始まったので自発的に退いたものです
指摘を受けてKKTは22日、アナウンサーを再び益城町の避難所に派遣し、少女とその親族に対して改めて一連の経緯を説明したところ、少女2人には「テレビ局にどかされた」という自覚はありませんでした。
images 以上のことから、KKTではアナウンサーが焼き芋の炊き出しを邪魔したり、 無理に雨の中に出したりした事実はなかったと判断していますが、 この映像で視聴者の方々に不快な思いをさせたとすれば、お詫び申し上げます。」

この謝りたくない感満載の無神経な反論がまたネット民の皆さまの感情を逆なでしたようで、多くのコメントが寄せられている。
「不快な思いをした人が多くて炎上したのだから謝罪文であれば素直に謝ればいいものを何をひねくれた表現を書き連ねているのか。
maxresdefault「謝罪しているようで全く謝罪していない
「もう色々突っ込みどころだらけ。謝罪する気一切なし
「女の子が炊き出しのお手伝いしていたなら、その女の子を手で追い払っている時点で邪魔してる」
「炊き出し待っている人だっているから、インタビューで時間取っている時点で邪魔」
「これも謝罪じゃなくて弁解つーか屁理屈
「もっと潔く謝罪できないのか だから嫌われるんだ
「あの謝罪は最低だ」

他人の不倫やら経歴詐称やらはしつこく追い回すくせに、自分たちのことはしっかりと棚の上にあげっぱなし。
もっともこんなことは、ミヤネ屋に限ったことではないし、とくにミヤネ屋だけが嫌いというわけではない。
でも、マスコミの腐れ具合を知るには、ミヤネ屋が一番わかりやすいんだよなぁ。
わかっていただけましたか?Jさん

P4200063昨日4/16は、ディランとも馴染みの深い高田渡さんの11回目の命日だった。
ツアーの途中で倒れて、意識が戻らないまま釧路の病院で亡くなった。
老成した雰囲気を漂わせていたが、まだ56歳の若さだった。
4/3は何度かディランでもライブをやってもらったことのあるフォークシンガー西岡恭蔵の命日。
恭蔵さんは、フォークのスタンダード「プカプカ」の作者としても知られている。
まだ50歳だった。
4月になるとお客さんのいない時は、渡さんと恭蔵さんの曲を流して、二人を偲んでいる。

P1030333熊本の大地震関連の情報があふれるFBのニュースフィードに混じって、苫小牧の老舗ライブハウス「アミダさまのオーナー「ツルさん」の訃報が流れた。
数年前から体調を崩し、入院していると聞いてはいたが、それほど悪いとは思わなかった。
ディランより古いライブハウスで、ユニークなツルさんの人柄もあって、多くのミュージシャンに信頼されていた。

ディランでライブをやるようになった頃、どういうふうにやったらいいのか、行き当たりばったりの毎日だった。
こりゃあいっちょう老舗といわれるライブハウスに研修に行ってみようかと思いたち、苫小牧へ車を走らせた。
なにしろ噂では、RCサクセションARB、ストリート・スライダースなどのライブをやったこともあるという。
今とちがって携帯もナビもない時代だったので、かなり探したがなんとか見つけることができた。
P1030334
いまのディランの二倍近い広さの店内に、小さなカウンターがあり、その中にスキンヘッドのツルさんがいた。
ビールを注文すると、うしろにサーバーがあるから自分で注いでくださいという。
うしろを見ると、サーバーの横には大小様々なグラスが置いてある。
「同じ値段ですから、大きいので注いだほうが得ですよ」とボソッといわれた。

IMG_3113いろいろと話をするうち、芦別のディランだとわかると、「ああ・・このごろよく名前聞きますよ」といって、なじみの焼き鳥屋さん「私の青空」のママさん(ハーピスト)を呼んでくれ、遅くまでつきあってくれた。
適当にそこらで宿を見つけるつもりだというと、楽屋に泊まっていけといわれた。
ついでに明日、林家正雀の高座があるので、それも見ていけという。
そんなことで、それから付き合いをさせてもらっていた。

古いビルがたちの悪い地上げにかかって立ち退きにあい困っていると聞いたが、まちなかの方にいい物件を見つけて営業を再開できた。
新しく蘇った「アミダさま」だったが、ほんの数年しか営業することはかなわなかった。
いまごろ阿弥陀様に手を引かれて、西方浄土への道を歩いていることだろう。
さようなら、LOVEHOUSE アミダさま、さようならツルさん。
また4月に命日が増えてしまった・・・。
oct21_03


yonehara_1「愛の法則」を読んで以来、米原万里の本を何冊も読んでいる。
さすが同時通訳をしていただけに、言葉の扱いがすばらしい。
この人の書いたものを読んでいると、ブログとはいえ文章を書くのが恥ずかしくなってくる。
ってんで、しばらくブログを書く気がしなかった。
もっとも言葉の達人と、自分なんぞを比べること自体が恐れ多いんだが・・・。
それにしてもじつに惜しい人を亡くしたもんだ。

この人の本を読んでいると、その知識の量はもちろんだが、物事の見方に驚かされる。
真実はひとつではなく、それぞれの立場や生まれ育った国、歴史や経験などでいくつもの見方があるとあらためて気付かされる。
というより、本当の真実なんてものはなく、仮にあったとしてもその「藪の中」はだれにもわからない。
tumblr500ボブ・ディランも「君の立場からは君が正しく、僕の立場からは僕が正しい」と「いつもの朝に」で歌っている。
米原さんが通訳の師匠と仰ぐ人が「マリ、世の中には絶対ということは絶対にないんだからね」と、禅問答のようなことをいっていたと著書に書いている。

自国の正義を声高に歌い、戦争を公共事業にしているアメリカ様なんぞは、腹の中はどうであれ、間違っても自分たちが謝るようなことはしない。
正義はひとつしかなく、常に自分たちが正しいとその正義を世界中に押し付けている国だ。
新聞では、ケリー国務長官がG7で来日し、広島の原爆資料館を訪れ「胸がえぐられるような」思いを味わったと書いてあったが、一言の謝罪もしなかったという。
9まさかちょいと謝ったからって、日本が中国や韓国のように金を寄越せなんて、アメリカ様に言うはずもない。
そんなことをすれば、イラクの時みたいに「大量殺伐兵器」を隠して持っているとか難癖付けられて、こっぴどい目に合わせられないとも限らない。

もっとも、世界で一番大量の殺伐兵器を持っているのは当のアメリカ様なんだけどね。
しかも大量に使用するし・・・。
わざわざ藪を突っついて蛇に噛まれるようなことはしない方がいい。
ってより、この蛇は突っつかなくても噛み付きにくるから始末が悪いんだけどね。

images

P1040684ついこのあいだのようだけど、三宅伸治のライブから早くも一週間が過ぎた。
ライブに来たお客さんからもたくさん「楽しかった」という声をいただいた。
で、4/2は清志郎の命日
三宅さんは毎年「感謝の日」というタイトルで、たくさんのゲストを招いてライブをやっている。
今年は前日の4/1に、「ひとり前夜祭」というイベントで、清志郎との思い出をじっくりと語りながら、一緒に作った曲などを歌うイベントも行った。
三宅さんにとって清志郎という存在は、いくら感謝しても足りない存在のようだ。
われわれにとっては、三宅さんもいくら感謝しても、し足りない存在だけどね。
なにしろこんな田舎のライブハウスに毎年のように来てくれるんだから。

そういえば、このあいだのライブで初めてディランに来てくれた東京のファンの女性が、この当日のライブのセットリストを残しておいてくれた。
せっかくなんで、ここに載せておきます。

P1090460▶三宅伸治 Key To The Highway ツアー 2016.3/27(sun) 芦別ロックハウス・ディラン◀

MY BABY

It's Allright(いつもオーライ)

はじめぼくはひとりだった

Sweet Home Chicago ←リクエスト

ひとつづきの夢

Just A Gigolo-I Ain't Got Nobody

634-5789

It's Allright(僕らは歳をとり)

ノックが聞こえる

新フェニックスマン

やぁ~
デイ・ドリーム・ビリーバー

The Weight

月がかっこいい

ベートーベンをぶっ飛ばせ

JUMP
en1

R&Rの時間

雨あがりの夜空に
en2

何もなかった日

たたえる歌

さすがファンですね〜。
おまけといっちゃなんですが、当日の動画もアップしときます。



やっぱりロックはいいねぇ~。

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