泥酔亭の成り行き日記

2016年07月

P_20160516_134716サンダーバードが港を離れる頃には、雨はかなり強くなっていた。
揺れる船内で、さっきから気になっていた痛む右足をさすっていた。
とにかく旅に出たらふだんの何倍も歩くので、筋肉痛にはなるのだが、この痛みはいつものそれとは違うようだ。
かといって、ひねった痛みとも違うし、もちろん折れたわけでもないらしい。
じっとしていると痛まないが、地面に足をつけると、足の裏がひどく痛む。
朝の阿智神社の階段がこたえたんだろうか?
それとも、なにか神様の気にさわったとか・・。それにしても足の裏だけが筋肉痛なんてあるんだべか?なんていろいろ考えていたら、ふとお客さんから聞いた話を思い出した。

imagesそのお客さんは、痛風の発作が足首に出たといっていた。
ふつう聞くのは、足の親指あたりだが、その人は最初捻挫か骨折と勘違いしたといっていた。
別のお客さんでひじに出たという人もいた。
尿酸結晶だから、関節のどこにたまってもおかしくない。
見に覚えなら、売りに出すほどある。
自業自得といえばそれまでだが、旅先で歩けなくなるのは辛い。
少しでも足を休ませたほうがいいと思って、直島まで船内でじっとしていた。

草間彌生の赤いかぼちゃが出迎えてくれる直島に着いた頃は、雨はいっそう強くなっていた。
IMG_0980人生初のパオにお泊りも楽しみのひとつだったが、ここ直島では銭湯をそのままアートにした「アイLOVE・湯」なるところがあると聞き、隠れた?銭湯マニアとしては大いに楽しみにしていた。
銭湯でゆっくりくつろげば、この足の痛みも少しはよくなるに違いない・・・と、傘をさし目指すアイLOVE・湯」は、月曜定休日・・・。
そうだった・・・銭湯はなぜか月曜定休が多いってのを、すっかり失念していたわ。

雨の中、痛む足を引きずり、島の反対側にあるパオ行きのバスの時間表を見る。
すると一時間ほども待ち時間があるので、今夜の食料を仕入れに行くことにした。
看板には「すぐそこ」のように書いてあったが、その生協の遠いこと
雨の中、一歩足を踏み出すごとにやってくる痛みと闘いながら、やっとのことでたどり着いた。
そこで弁当やら酒などを買い込んだが、帰り道も歩いて行くほどの元気はない。
近くにフェリーターミナル行きのバス停があったので、雨の中待つことにした。
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アイ・LOVE・湯

P_20160516_064646倉敷の地酒と一級の酒肴をたっぷりと堪能し、早朝3:30から始まった長い一日もようやく終わった。
一睡もしていなかった脳みそに気持ちよく日本酒が染み渡り、あっという間に熟睡。
そして翌朝、恒例のマダムとお散歩のコーナーがやってきた。
昨日は日曜日ということもあって、混み合っていた倉敷の町だったが、早朝はさすがに行き交う人も少ない。
c0199120_183244朝もやの残る美観地区の町並みの素晴らしいこと。
かどを曲がり景色が変わるたびに、マダムも「いいねぇ」を繰り返し、まるで中尾彬が乗り移ったかのようである。
あちらの小路、こちらの路地を歩きまわっていると、また阿智神社の階段の前に出た。
早朝の神社の静謐な雰囲気もまた格別なものがある。
ってんで、懲りずにまた「米寿坂」「還暦坂」「厄除け坂」を登り切り、参拝をすませる。

今日は横尾忠則館が待つ豊島へ行くのだが、あいにくと天気は大きく崩れるという予報だ。
いつも5日間の旅行のうち、一日は必ず雨にふられる
P_20160516_101303去年は錦帯橋を訪ねた日が雨だった。
晴れて良し 曇りても良し 富士の山 元の姿は変わらざりけり、なんてウタがあるが、雨の旅もなかなかオツなもんだ。
さて身支度を整えて、茶屋町行のバスに乗り、JRで宇野まで行き、豊島行きのフェリーに乗り込んだ。
そのあたりから雲行きが怪しくなり始め、豊島に着いた頃、空はすっかり重い雲に覆われていた。

目指す横尾忠則館は、ターミナルのすぐそばなので、すぐに見つかった。
artist入り口から一歩入ると、そこは見事に横尾ワールド
透明なアクリル板を敷いた部屋の下には池が作られ、割れないとは思いながらもどうしても桟の上を恐る恐る歩いてしまう。
真っ赤に塗られた庭石1300枚もの滝の絵葉書を煙突の中に張り詰め、上下に鏡をおいてある空間は、中に入るのがためらわれるぐらいの不思議な空間だ。
上を見ても下を見ても、合わせ鏡のように無限に滝の絵が続いているのだ。
さすが鬼才といわれるにふさわしい作品を、すっかり楽しませていただいた。
もちろん中での撮影はできないので、ネットでひろった写真を使わせてもらった。
でも中華の方々は平気で撮影してたけどね。
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横尾館を出たあたりで、雨がぱらついてきたので、近くの食堂に飛び込んでうどんをすすりながら雨宿り。
どんどん強くなる雨の中を、直島行きのフェリーに乗り込む。
船の名は「サンダーバード号」。
ゆけ!サンダーバード、嵐の海を!

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P1040317島巡りのほかにマダムの旅の楽しみのひとつに、早朝散歩がある。
かなり以前、朝になっても酔いつぶれている亭主を尻目に、早朝の浅草を散歩してから病みつきになったようだ。
昭和の香りの残る路地裏を散策し、地元の人達と朝の挨拶を交わす。
それからは風情のある町に泊まった時は、必ずといっていいほど朝の散歩にいそしんでいる。
まして風情のかたまりともいえるここ倉敷の町並みを見て、マダムの食指が動かないはずはない。
ってことは、旨い魚で地元の酒をたらふく飲みたいのはやまやまだが、翌朝の散歩に差し支えることがあっては、きついお叱りを受けることは必至である。

さてここ「いわ倉」はスースリングという特殊な鉄板で焼く焼き物がウリらしい。
んだば、そいつをいってみっぺってことで、「アサリのびっくり焼き」なるものと「かま焼き」を注文する。
P_20160515_193357ほかに珍しいものはないかとメニューを睨みつけてると、「ばくらい」を発見。
もちろんこれは「爆雷」のような危険なものではないが、ほやの形が爆雷に似ていることから、こういう名前になったとかで、まんざら関係がないわけでもない。
ホヤとこのわたで作る塩辛のことで、名前は聞いてはいたが、いままで食べたことはなかった。
ってんで、この「ばくらい」と「瀬戸内海鮮サラダ」「米なすのピザ風」を注文する。
もちろん名物「ままかりの酢漬け」も焼きと生の盛り合わせときている。

P_20160515_195318続々とテーブルに並べられる山海の珍味を口に運びながら、呑む地酒の旨いこと。
初めて口にする「ばくらい」は、酒飲みのために開発されたといってもいいぐらいの逸品だ。
で、ウリのスースリングとやらで焼かれたカマも、外側はカリッと、中身はジューシーに見事に焼きあがっている。
こうなると、明日の朝の散歩のことなど頭のなかから消し飛んでしまい、次々と杯を重ねていったのであった。

ふと気づくと、この旅日記、まだ一日目・・・・。
こんな調子で生きてるうちに書き終えるのか?
未完の遺作になったりして。

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20131106173802サーバーのクラッシュは、いまだ復旧の兆しもない
おかげでHP移転の情報も載せることができない。
ひとまずFBで新しいアドレスを告知したあと、主だった人たちにはメールで知らせた。
しかしGoogleでディランを検索しても、以前のHPしか検索できないので、困っている人もいるに違いない。
昨夜も東京から来たお客さんが「あとでHP探してみます」といっていたが、事情を説明して少し様子を見てもらうことにした。
おまけにサーバーに問い合わせようにも、ログインパスワードを失念してしまっている。
まったく困ったもんだ・・・。
ま、ネット依存度がますます加速している昨今、いま少しの不便もいいかもしれない。
以前ならライブのオファーなども、電話や手紙だったのが、今はほとんどがメールだ。
プロフィールや音源なども「HPを見てください」「YouTubeを観てください」とくる。
便利な半面、味気ないといえばなんとも味気ない

さて、そんなこんなのドタバタで滞っていた瀬戸内の旅日記
こんな調子じゃ今年中に終わるのかも怪しくなってきた。
どんどん記憶も薄れていっているので、さっさと書き進めようっと。

img_6394阿智神社のすさまじい石段で、すっかり疲労困憊した二人は、アルコール・エナジーを充填すべく、いそいそと夜の街へと繰り出した。
倉敷は早い時間に閉店する店が多いと聞いたので、目星をつけておいた店を数軒訪ねると、どの店も閉店。
日曜日なので休んでいる店が多いようだ。
いっそのこと、コンビニでとりあえず喉を潤そうかと、ホテルの方へ歩いて行ったら、すぐそばに雰囲気のよさそうな店「創味魚菜 いわ倉」を発見。
なにも遠くをウロウロすることもなかった。
青い鳥はすぐそばにいたってわけだ。

美観地区にふさわしい上品な店作りにちょいと気後れしながらも、とりあえず酒を飲んでしまえば5分で自分のうちのようにくつろげる便利な特技があるので、さっそくビールを注文。
ぐいっと飲み干しながら、日本酒のメニューに目を通す。
地元でしかお目にかかれないような酒を見つけるのも、旅の楽しみのひとつだ。
あるある・・「みたけつる」「ぼたんのつる」「燦然」「喜平」どれも飲んだことのない酒ばかりだ。
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さ、岡山名物ままかりでも肴に、いっちょうイッてみるか!

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pack-F初めて頭脳警察を聴いたのは、中学三年の頃だった。
やっと少しギターを覚えたての頃で、流行りだったフォークソングをなんとなくダラダラと弾いていた。
拓郎や泉谷なんかを聴いた時思ったのは、ウマイのどうのより、こんな身近なことを自分の言葉で歌ってもいいんだべか?ってことだった。
それまでのフォークソングや歌謡曲といやぁ、きちんとした作詞家の先生が美しいフレーズを並べ立て、それをまた作曲家の先生が、美しいメロディーに乗せるってのが定番だった。
ところが、岡林信康や高石ともやなんぞは、自分のまわりの出来事や考えを自分で作曲して歌っていた。
さらにボブ・ディランたちの影響だろうが、反体制ソングまで歌っていた。
しかも簡単なコード進行で・・。

img_1フォークの世界はざっとそんな感じだったが、その当時の日本のロック界といえば、「日本語でロックは歌えるのか?」なんてぇことが、真剣に論じられていた。
たしかにロックのリズムに日本語を乗せると、どうにもしっくりこない。
もともとアチラの音楽なので仕方がないが、フォークのように自分の言葉でロックをやりたいと思うのも当然だった。
そこへ出てきたのが、はっぴいえんどで、日本語をロックに乗せるために、じつに様々なやり方で挑戦していた。
しかし、田舎のぼんくらロック少年には、はっぴいえんどはなんとなく上品で、インテリの匂いがして好きだったけどイマイチしっくり来なかった。

でもって、放課後遊びに行った友達の部屋で聴かされたのが、頭脳警察だった。
1stアルバムは発売中止2ndアルバムは発売後すぐに自主回収、やっと出たのがこの「頭脳警察3 」だということだった。76014893
そして流れてきたA面一曲目タイトルは「ふざけるんじゃねえよ」
拓郎や泉谷が、自分たちの言葉で歌を作ったことにも驚いたが、こんなタイトルが許されるのか?
鋭いカッティングのギターとドラムに乗せて流れてきたその歌は、あまりに今まで聴いてきた曲と違うので、最初は英語かと思ったぐらい衝撃的だった。
歌詞カードを見ながら、聴き直すとそれはたしかに日本語で、見事にロックのビートに乗っている。

さて、それからというもの、その歌が耳について離れない。
日本語でロックが出来る!
しかもかっこよく!
XATB-1019027そのあと矢継ぎ早に、村八分、外道、サンハウス、カルメンマキ&オズ、サウス・トゥ・サウスなど、日本語によるロックの壁をやすやすと乗り越えるバンドが登場してきた。
しかし、自分にとって一番最初にその可能性を見せてくれたのは、まぎれもなく頭脳警察だった。

それからあとは、解散するまで頭脳警察のアルバムを買い、パンタがソロになってもずっと聴き続けた。
それだけ影響を与えてくれた、頭脳警察のパンタが、ディランでLIVEをやってくれた。
今までロックのおかげで、たくさんの夢がかなったが、まさかこんな夢まで叶うとは想像もできなかった。
あの頃の自分に聞かせても、きっと信用しないだろう。
ロック・ピープルに奇跡はつきものだと、ジョン・レノンは言った。
ジョン!また奇跡が起こったわ!
ロック万歳ってな気分だ。


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