泥酔亭の成り行き日記

2017年02月

900003000_61ブログに鼻炎のことを書いたら、遠く長崎からわざわざ電話が来て、花粉症の治療法を教えてもらった。
毎日実践したせいか、症状はかなり軽くなってきた。
ところがお次は、鼻炎の影響か鼻の下が腫れてきた。
痛みはそれほどないのだが、どうにも薄気味悪い。
もしかすると、悪い腫瘍でも・・・などと気になる。

ネットで色々見てみると、同じような症状の人がけっこういて、歯が原因の人、鼻炎が原因の人が大方だ。
身に覚えがあるのは鼻炎の方なので、以前診断してもらった病院に行くことにした。
早起きをして開院時間に間に合わせて行ってみると、すでに待合室は人だかり。
開院直後だというのに待ち番号は34番
その後も続々と患者さんがやってくる。
この調子だと、午前中に50〜60人は診察するんでないべか?

3f68ee1dで、待つこと二時間半ののち、やっと診察してもらった。
いつものように少し鼻の奥を見て、「ああ腫れてますね。軟膏出しておきます」のひとこと。
ちょっとセンセそこじゃないんですけど・・・問診票に書いたでしょ。
腫れている部分にはさわりもしないので、「ここにしこりみたいのがあるんですけど・・」というと、「えっ!?」と驚いて、やっとその部分を指で押した。
鼻の下に袋のようなものがあって、そこが化膿しているかもしれないので、抗生物質と痛み止め出しておきますから、それでダメなようなら内科で見てもらってください」とのお言葉。
内科・・?なんでまた?」と思いながら、いつものように吸入タイム

よくわからない気体を吸いながら、「内科なわけないべなぁ」と思い、看護婦さんにたずねたら「内科?」とあきれた顔をされた。
topMainImgソレ、お宅のセンセが言ったんですけど・・・。
皮膚科か耳鼻科に行って検査してください」・・・って、ここ耳鼻科でないのか?
ってなわけで、CTのある大きな病院に行ってくださいといわれた。
で、となりの薬局でお薬をもらって帰ってきた。
たくさんの患者さんで忙しいのはわかるけど、流れ作業で薬を処方するだけ。
ちょっとややこしそうなのは、大きな病院に回す。
しかも「内科」ってなに?
なんでここがこんなに繁盛しているのかわからんわ。

これじゃまるで「お薬相談所」じゃない?
Yahoo!知恵袋のほうがよっぽど頼りになるわ!

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16473214_927186024085317_1249535676923747298_nこのあいだミュージック・ハーベスト2017のミーティングがあった。
スタッフの多くは若手を中心とした顔ぶれだ。
ディランの15周年を記念して開催した一回目が1998年
そのときのサブタイトルは「新しい伝説の始まり」
これは、野外ライブというと必ず引き合いに出されるウッドストックや、中津川フォーク・ジャンボリーなどのイメージから離れ、自由な発想で新しいイベントを作りたいと思ってつけた。
ここから、新しい「伝説」を作るんだという意気込みだった。

それから15年経った2013年に、ディランの30周年記念としてミュージック・ハーベストは再開した。
一回目から15年が過ぎた今、必要なのはやはり若い人たちへの継承だと感じた。
たしかに自分たちには長年培ったノウハウや人脈がある。
しかしそれに縛られて自由な発想ができなくなっていることも多い。
そこで2013年のハーベストのサブタイトルは「時代は変わる」にして、若い人たちを積極的にスタッフに加えた。
そして次の年2014年のハーベストで、ディランとしては、このイベントから一歩身を引くことにした。
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はほとんどを次世代にまかせ、足りない部分をサポートすることに徹底した。
出演者も今までとはガラリと変わり、すべて新しいスタッフたちが決定した。
口や手を出したいのをグッとこらえて、徹底的に裏方に回った。
危なっかしい場面もたくさんあったが、新しい若いスタッフたちは無事にやり切った。
体力も精神も限界をとうに超えていたようだが、やり切ったことで新しい自信もついたことだろう。
反省会のとき、リーダーが「来年一年休んでじっくりと考えてみたい」ということで、2016年は休止ということになった。

そして今年2017年、さんざん迷ったようだが、開催することにしたという。
場所も新たに探し、すべてをゼロから作り上げるぐらいの気持ちでやるという。
ミーティングでも、余計な口を挟まずにずっと聞き役に徹していたが、なかなか斬新な意見もたくさん飛び出して、中身の濃いミーティングになった。
やはり次世代にバトンを渡したことは正解だったようだ。
さて、それが今年どんな実を結ぶのか?
今から楽しみだ。
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今日の新聞によると、ようやく芦別の新しい市長が決まりそうだ。
なにかと最初からゴタゴタ続きだった、前市長戦とちがって今回はスムーズにことが運びそうだ。
この二年間の停滞・・・というより、後退を思えばほっとした気持ちになる。

それにしても、前回の市長選から辞任までのスッタモンダには開いた口が塞がらなかった。t02200165_0267020011972411929
最初から怪文書が出回ったと思えば、選挙が終わったとたん、市長が当選市議に酒を配ってみたり、市長が選んだ副市長を2度にもわたって議会がNOを突きつけたり、振興公社の社長を独断で決めたりと、次から次へとやらかしてくれた。
議会で怪文書のことを質問されると「書いていない。清書しただけだ」と答え、酒を配ったことに対してのテレビの取材では「渡していない。置いてきただけだ」というトンチンカンなお答え。
とても選管の事務局長を勤めていたお人の発言とも思えない。
「怪文書ボックス」なるサイトには、市民からの投書という形で、そのあたりのことを詳細に書かれている。
また別の投書では「品格ゼロ」という厳しい表現で書かれている。

600x400争点としていた振興公社問題でも改善するどころか、借金を倍以上にしてしまった。
最初は共闘していた議員たちも、すっかり離れてしまい、頼みの綱の振興公社の社長も退陣し、すっかり孤立してしまったあげくの辞任だ。
振興公社への新たな貸付けを条件の辞任なので、ネットなどでは「自らの進退をかけて、振興公社を救った」というヒーロー扱いの書き込みもあったりするが、そうじゃないことは少し考えればだれにもわかることだ。
こんな市長を選んでしまった責任は、もちろん市民にあるし、個人的にどうのというわけではない。
ただ、やめてしまったからといって、なんの総括もなく、反省もしなければ、いつまたこんな茶番が繰り返されないとも限らない。

今回の市長擁立は、市内の商工業、農林業などの後押しもあって、前回のような泥沼劇にはならなさそうだ。
問題は、市会議員の補選だが、こちらはどういうことになることやら・・。
反省とは未来に・・・


IMG_20160509_193441月日の経つのは早いもので、あっという間に2月になってしまった。
1月は、懐かしい顔にもたくさん会えたし、常連さんとも新しい年を喜び合った。
が、年賀状を出した先から一通の手紙が届いた。
奥さんの名前で書かれたその手紙には、「主人は一昨年の12月に急逝いたしました」と書かれていた。
となり町から時々来てくれていた人で、音楽が好きな明るい人だった。
持病があったので、あまり飲みに出ていないものと思っていた。
なんでも検査の時に、心臓血栓と腎臓がんが見つかり、治療していたという。
経過も良好で通院することになり、自宅に戻ってきていた時に急性心筋梗塞で、あっという間に亡くなったという。
享年64歳
今の時代では早過ぎる死といえる。
あらためて、人の命のはかなさを痛感した。

th-hi-00237no04m[1]それにしても、ここ数年まわりではこんな風な突然死が多い
自分の周りだけかもしれないが、心臓であったり脳であったり、老若男女問わず突然死んでしまう人が多い。
それとならんで難病にかかる人も多い気がする。
自己免疫性疾患といわれる自分の免疫が自分自身を攻撃する病気が多い。
「全身性エリテマトーデス」「ギランバレー症候群」「重症筋無力症」「クローン病」「バセドウ病」・・・。
どれも原因はわからず、決め手となる治療法も見つかっていない。
ふだん健康な人でもある日突然発症するから恐い。
原因がわからないので、予防のしようがないのも恐い。
治療法が確立されていないから、完治しないのがまた恐い。
マスクをしてようが、手洗いうがいをしてようが、禁酒禁煙をしようが、ウォーキングをしようが病魔はおかまいなしに襲ってくる。

TKY201103240468ある人は突然死や難病の原因を原発事故の放射能のせいだといっていた。
またある人は、そういう人たちのことを「放射脳」だといって笑った。
チェルノブイリやスリーマイルの事故があった時は、あれほど騒いでいたはずなのに、今同じ国内で依然として放射能が撒き散らかされているのに、何事もなかったように暮らしている。
本当のことはどうなんだろうか?
マスコミなどに頼らずひとつひとつ、自分で真実を見つけていくしかない。

少なくとも我が国のトップが胸を張って世界中に宣言した「福島は完全にコントロール出来ている」ということが間違いだということだけは確かだ。
もっとも「福島」の部分を「日本国民」に入れ替えれば別だが。
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