泥酔亭の成り行き日記

2018年11月


P_20180516_194159驚くほど人通りの少ない駅前通りを下って、今夜の宿「唐津第一ホテル」にチェックイン。
ひとまず体を休めて、陽の落ちたのを見計らっていざ唐津の町へ。
来る途中アーケード商店街を見かけたので、ちょいと冷やかしに覗いてみることにした。
ところがまだ七時前だというのに、どの店もすでにシャッターを下ろしている。
佐賀市に次いで県内では二番目の人口、約十三万人も住んでいるというのになんという静けさ・・。
中心市街地の空洞化の波は、こんな所にも及んでいるんだべか?

飲食街は商店街の近くにあるというのに、ほとんど人影を見かけない。
まさかわれわれの知らないうちに、半島有事でもあって戒厳令でも敷かれたのか?
ってなぐらいの静かな町をしばらくうろついて、ふと目に留まった居酒屋「海鮮一 暴飲暴食」にご入店。
すると驚くことに店内はほぼ満席、二階では宴会もやっているらしくにぎやかなことこの上ない。
なんとかカウンターが空いていたので、まずはビールを注文。
「海鮮一」という言葉に引かれて入ったが、海鮮以外のメニューも充実している。
従業員もいるが、店主夫妻のほか息子や娘も手伝っている
こういう店にははずれが少ない。
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で、「穴子の蒲焼き」「めひかりの唐揚げ」「こちの天ぷら」「関さばのカルパッチョ」なんぞを肴に、唐津の地酒「聚楽太閤(じゅらくたいこう)」を熱燗でいただく。
いまの店主夫妻は二代目で、店内を忙しく走り回っている息子さんは、もう三代目を継ぐことが決まっているそうだ。
どの料理も工夫されていて、しかも良心的な値段だ。
九州最後の夜、今夜も当たりの店だった。

ってなことで、せっかくだからもう一軒行ってみようと、さっきより静かになった気がする唐津の町へ出た。
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P_20180516_160907波のむこうに消えていく壱岐を見ながら、甲板で飲む缶ビールは格別だ。
少々風は強いが、天気は上々、波も静か。
ここをさっき一支国博物館で見た古代船が行き来したことを思うと感慨もひとしおだ。
壱岐の印通寺港から唐津東港までは、約一時間四十分の船旅
ちなみに印通寺は「いんどうじ」と読む。
マダムに説明するときに何度もこの港の名前を言っていたのだが、「なぜこの人はさっきからインド人の話しばかりしているのだろう?」と思っていたらしい。
なんのために壱岐まで来て、インド人の話しを何度もしなきゃならないのか?
少し考えりゃわかりそうなもんだが・・・。

P_20180516_171338船内で唐津の情報をあれこれと調べているうちに、陸地が近づいてきた。
ふと前方を見ると、小高い山の上に城が見える。
たぶんあれが唐津城(またの名を舞鶴城)であろう。
そうこうしているうちに船は無事唐津東港に到着。
ここから西唐津駅に行き、電車で唐津まで行く。
フェリー乗り場から西唐津駅までは約2km
長旅に疲れた体にはちょいとキツい距離だ。
バスはないにしてもタクシーの一台もあるだろうとあたりを見回しても、車一台走っていない。
しかたないのでタクシーを探しつつ駅の方に向かって歩いたが、とうとう見つからないまま駅に着いてしまった。
フェリー到着時間に合わせて、タクシーの一台も待機させといてもらいたいもんだ。

P_20180516_181509いきなりのセミハードな展開にブウスカいいながらも、電車に乗り込んで約30分で唐津駅にご到着。
さて初上陸の唐津市はいかがなる所だろうと、駅前から続く表通りを眺めると、なんとも落ち着いた風情の町のようだ。
駅前によくあるチェーン居酒屋やケバいパチンコ屋などもなく、高層建築もほとんどない。
しかもいくら平日とはいえ、人も車も異様なほど少ない。
やはり同じ佐賀県でも、唐津藩よりお隣の鍋島藩(佐賀藩)の方が明治維新で活躍したせいで栄えているんだベか?
あとで調べてみると唐津藩主小笠原長行(ながみち)は、最後まで幕府側について函館戦争まで戦ったとか。
薩摩藩のとりなしがなかったら、唐津は九州の会津になっていたかもしれないそうだ。
しかし最後まで意地を通した小笠原長行は筋の通った気骨の人だった。
以前四国の松山市に行ったとき、寿司屋のおやじさんが「松山は徳川方に付いたから、土佐藩みたいに威勢がよくないんです」といっていた。
維新から百年以上経っても、まだそういう空気って残っているのかもね。

さ、九州最後の夜、唐津にはどんな店が待っているであろうか?
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P_20180516_151830小さな島だけどこだわりのある居酒屋「角丸」にすっかり大満足して、宿に戻って熟睡。
寝る前に調べたところ、壱岐全体の人口が27,000人ほど、そのうちこの郷ノ浦には約10,000人が住んでいる。
世帯数は4,300戸ぐらい。
ちなみにわが芦別市は、人口13,748人、世帯数は7,645戸
芦別の方が世帯数が割合として多いってのは、一人暮らしが多いってことだべか・・・。
ま、それは置いといて、こんな小さな集落でもこれだけのこだわりを持った店がある。
どこにいてもやるヤツはやるってことだ。
おおいに触発されて、やる気ホルモン満開でご就寝。
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P_20180516_100158次の日もよく晴れて流れてくる潮風も心地よい。
昨夜調べたところ、スーパーでは「ヤマグチ」というところが、島の特産品を置いているという。
ほかにも観光物産館のようなのが二、三軒あるようだ。
ってことで、さっそくヤマグチへ向かう。
そこで土産物を色々と買い込んで段ボールに詰め込んで芦別へ送った。
それにしても海産物の新鮮で安いこと。
ワタリガニが¥800、甲イカが¥923・・・意外だったのはミズイカが二千円から三千円とけっこう高価だったということだ。
今夜も泊まりだったら、ここでいろいろ買い込んで宿で一杯やるところだが、今日中に唐津に移動しなければならない。
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まだフェリーの時間にはかなりあるので、島に七軒あるという麦焼酎の蔵元へ行ってみることにした。
本当は昨夜飲んだ超音波熟成「円円」の蔵に行きたかったが、一番近い「山乃守」酒造にした。
親切なおねえさんに丁寧に説明してもらい、何種類もの麦焼酎を(マダムが)試飲させてもらった。
で、やはり一番美味しかったのは41度の「守政」だというので、それをご購入。
それから近くにある一の宮「與(おき)神社」に参拝し、まだ時間があるので、「一支国博物館」にも足を伸ばすことにした。
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ここがまた立派な施設で、展示物やジオラマ、昨今流行りのプロジェクションマッピングなるものまで備えている。
そこで古代に栄えた壱岐の島の映像を楽しんだあと、ついでといっちゃなんだが、猫の写真でにわかに名が売れている「岩合光昭」の写真展もやっていたので、それも観覧。

そろそろ時間となりましたってんで、やっとフェリー乗り場に向かう。
今回のレンタカーはフェリー乗り場で乗り捨て、キーはつけたままでいいというおおらかさだ。
ガソリンを入れて、乗り場の近くの喫茶店で出発までの時間をつぶして、いざ乗船。
ふと島の方を見ると、小島神社と同じような神社が海に浮かんでいる。
ネットで調べてみると、ここも小島神社というらしい。
最後まで小島神社に見守られて、フェリーは壱岐を離れていった。
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さて初めて訪れる唐津はいかなるところであろうか・・さらば壱岐!! また来るぜ!!
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P_20180515_192004旅館でちょいと体を休めて、いそいそと夜の町へ繰り出した。
こういう小さい町では、ネットによる情報もそれほど多くない。
ああでもないこうでもないと、それほど広くもない町をうろついたが、ここはいつもの通り「食の狩人」マダムのインスピレーションにまかせることにした。
繁華街らしきあたりを歩いていると、マダムが路地の方にぽつんと灯っている提灯を見て「あそこがいいんでない?」と言って歩き出した。
なるほどたしかになかなか風情のあるたたずまいだ。
さすが空腹時のマダムの勘は冴え渡っている。

ってことで、そこ「角丸(かどまる)」ののれんをくぐり、小上がりへ腰を下ろした。
まずは地元の麦焼酎「円円(まろまろ)」で乾杯。
この焼酎は熟成するときに超音波を使用して、アルコールの分子を小さくしているので、二日酔いしづらいらしい。
なもんで、ディランでも取り寄せて店に置くことにした。
お通しの白身魚の揚げびたしもさっぱりしたいい味付けで、かなり期待が高まる。
お刺身やら島豆腐のやっこ、山芋のふわふわ焼きなどを注文したあとに、マダムが頼んだのはなぜか「トマトスライス」・・・。
なんでまた漁師町でトマト・・・と思ったが、「さっぱりしたものが食べたい」らしい。
そして運ばれてきたトマトスライスには、マスターも一緒に付いてきた。
手に持っているのはレンガのようなチーズとおろし金
なんでもキロ単位でイタリアから取り寄せているという珍しいチーズを、トマトの上に惜しげもなくすりおろしていく。
その時のマダムの得意そうな顔・・・知らなかったくせに。
すべての料理に様々な工夫がされていて、たいへん勉強になりました。
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おいしい料理とマスターのうんちくを肴に、ほどよく飲んだところで、深酒をせずにおとなしく帰ることにした。
明日はお土産探しに島をひとまわりする予定だ。
なにか珍しいものがあるといいけど。
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