泥酔亭の成り行き日記

2019年03月

それにしても今年の雪解けは早かった。
二月にどんどん融け始めた頃は「このまま雪が無くなるわけはないだろう」と思っていたけど、三月初めには道路にはほとんど雪が無くなった
いっそ夏タイヤに交換しようとも思うが、まだまだ油断は出来ない。
過去には5月に雪が積もったこともあるしね。
ま、それでも春のような陽気は気分がいい。
歌の文句じゃないけれど ♪パーッと家を飛び出して さぁ歩こう 輝くあの道を♫ってな気分になる。(On The Sunnyside Of The Street )


1538720707627-9f46d489-bcfb-4615-a1db-a62b7ae12d86このあいだ三十年ぐらい前に一緒にバンドをやっていた旭川のCさんが突然訪ねてきてくれた。
五年前にも一度会ったことがあったが、そのときは少し話しをした程度だった。
今回は宿を取って泊まりがけで遊びにきてくれた。
Cさんはエレキギターの達人だったが、少し変わったところがあって、なかなか他人となじまないような感じの人だった。
手が空いたので「ギターでも弾きませんか?」と言ったら、左手の中指を見せて「木工で指を削っちゃってしばらくギターを弾いてない」という。
見てみると、中指の第一関節の腹の部分が半分ほどそがれている。

そういえば前回会ったとき「いまギターや家具を作っている」と言っていた。
家具は今も作っていると言って写真を見せてくれた。
板の表面を削り、カナダから取り寄せた特殊な樹脂を流し込んだというテーブルは、深い海のようなグラデーションの美しいものだった。
斬新で繊細なギターを弾く人だったが、家具造りでも強いこだわりが感じられた。

その夜はたまたま南富良野からベースを弾く若者も来ていたので、自然とセッションが始まった。
Cさんも指が痛むと言いながらも、ギターをたくさん弾いてくれた。
昔話や近況を話し合うより一緒に演奏する方が、たくさんのことを話し合えた気がする。
そのうち酒もかなりまわり、なにを演奏しているかわからなくなった頃Cさんが「忠さん、いいよ。すごくいい。楽しい」と笑っていた。
いい笑顔だった。
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で、毎度のことながらそのあとの記憶はない。
次の日Cさんから「本当に楽しかった」と電話が来た。
子供を四人育て、三人の孫にも恵まれて、今やっと気楽に音楽を楽しめるようになったと言っていた。
昨夜、となりに座っていたお客さんに「これからどういうことをしたいんですか?」と聞かれて「早く死にたい」と言っていたのが聞こえた。

Cさん、来年で還暦でしょ。
二人合わせて120歳バンドをやりましょう!!
・・って、そんときこちらは六十一歳か・・・。

毎年のことだけど二月はあっという間に去って、早々と三月に突入した。
一月は正月気分も落ち着いた頃、小樽の友人の突然の訃報
ふだんよその町のお悔やみ欄を見ないマダムがたまたま見つけた。
年賀状にも「今年はディランに遊びにいきます」と書いてあったのに。
まだ43歳の若さだった・・・合掌。

02-1024x888そのあとはマダムのインフルエンザ罹患による一週間の引きこもり生活。
おかげさんで旧暦に出す年賀状や、二月の日本酒の会の下準備が出来た。
なんでもポジティブ思考でいかなきゃね。
で、平成最後の五十代最後の数日を経て、2月16日颯爽と還暦デビュー
たくさんの人にお祝いの品や言葉をいただいた。
ここまで大過なく来れたのは、丈夫に生み育ててくれた両親や祖母のおかげだし、日々の健康を支えてくれているマダムのおかげだ。
そして長い間ごひいきにしてくれるお客さんがいなければ、とっくに路頭に迷っていた。
と、感謝の日々を送っております。

うまい具合に誕生日が土曜日と重なったので、「全国の地酒を楽しむ会」の開催をその日にした。
この集まりも今回で14回目
すっかり定着した人気企画だ。
今回も告知して10日もしないうちに、満員御礼の札止め。
全国の選りすぐりの新酒を十二種類、30人の酒豪たちと堪能した。

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美酒の余韻、還暦の感慨にひたる間もなく平成最後で還暦後初の確定申告
還暦を境に一気にもうろくしたものか、生年月日を記入するのに昭和と平成をまちがえて、平成三十四年生まれなんて書き込んだり、単純なミスが多くいつも以上に手間取った。・・・。
で、やっとのことで本日提出
いやな顔ひとつせずチェックをしてくれた商工会議所のG君に感謝!!

さ、お次は3/31 の「リクオ・ライブ」、そして今年の研修旅行の計画を立てなければ。
3月もあっという間に過ぎそうだなぁ。
rikuo1905

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