danshi生前から談志師匠が「俺が死んだら新聞の一面に載せてほしい」といっていた回文「談志が死んだ」。
スポーツ新聞の一面にデカデカと載っていた。
なんとも落語家らしい了見に頭が下がる。
ついでに死因も生前からいっていた「不図した病」にしてくれればもっとよかったのに。

勝手に師匠の言葉「人生成り行き」をディランののれんに使わせていただいている。
なんともインパクトのある言葉らしく、老若男女を問わず「いい文句」だといってくれる。
もっとも受け取り方は千差万別だが。

初めて立川談志という人を見たのは、「笑点」の司会をしていた頃だから、たぶんこんな←ころ。
なんとも頭の回転の早い人で、親をはじめ周りの大人達はみんな「生意気だ」と毛嫌いしていた。

と、そのうち国会議員になったり問題発言で辞任したり、落語協会を飛び出して落語立川流を創設したりと、忘れた頃にいつも話題を振りまいては思い出させてくれた。

次に意識したのは、マダムの読んでいた少女コミック(たぶんこれ?)→yachi
この中で脇役の一人がぼそっと「努力とは馬鹿に与えた最後の希望である by 立川談志」というシーンだった。
まさか少女漫画に立川談志の言葉が出てくるとは思わなかったので驚いた。
そしていかにも立川談志らしいひとこと。
それから思い出したようにビデオやCDを買ったりするようになった。

札幌での「ひとり会」にも一度行ったことがあったが、そのときは傑作のほまれ高い「芝浜」を聴くことができた。
しかも仲入りの時はロビーに出て、サイン会までしてくれた。
その時買った「現代落語論」に「ディラン」とサインしてもらったが「ディラン?外人か?落語わかんのかね・・・?」といっていた思い出がある。

katsu勝新太郎が死んだ時のような淋しさがある。
何をしでかすかわからないような破天荒な人間。
なにかドキドキさせてくれる規格外の男。
一生かかっても万分の一にも近づけないスケールの大きさ。
そんなスケールを持った人間が今の世では絶滅してしまった。

スティーブ・ジョブズのように、芸能界以外にはまだぶっ飛ぶような大きい人間がいるのかもしれないが、芸能界にはもう見当たらない。

うまい噺家、面白い噺家はこれからも出てくるだろうけど、「すごい噺家」は談志のあとはしばらくでてこないに違いない。

なんだかだんだんこの世もつまらなく、こぢんまりしていくような気がする。
しばらくはたくさん残してくれた映像、音源、著作などでまぎらわせることにしよう。
danshi2