img_0親父が大工だったおかげで、家にはいつも日本酒が大量にあった。
むかしは家を建てるとなると、出入りの業者が棟梁のところに酒などを付け届けしたおかげだ。
業者といっても、左官屋、電気工事、水道工事、塗装屋などたくさんあるから、台所はすぐに日本酒で一杯になる。
その当時の日本酒は、どれもベタ甘い、俗にいうアルコール添加の三倍増造酒
頭痛と吐き気がもれなく付いてくるという恐ろしい代物だったので、近所に配ろうにも貰い手が少ないので、つねに大量の日本酒が溜まっていた。

親父やその仲間たちはもっぱら焼酎を飲んでいたので、これまた日本酒はいっこうに減らない。
ってなことで、酒を飲むようになった頃、親父から好きなだけ持っていけというお許しが出た。
なもんで、若い頃から日本酒にだけは不自由したことがない。
またそれを当て込んで、悪友たちが夜な夜な集まり、毎夜の酒盛り
で、次の日はお約束の二日酔い。
これが日本酒というものだと思い込んでいた。

ent1510270004-p5その頃の代表的な酒といえば、石原裕次郎と宇野重吉のCMでおなじみの「松竹梅」
田宮二郎の「酒は大関 心意気」、鮪の刺身を切りながら「とろ!とろ!とろ神泉・・うーんベタ甘くないね」のとろ神泉、切れのいいやつ「多聞」、富士山をバックの「山は富士なら 酒は白雪」、かっぱのCMの「黄桜」、美味しおすえ!の「玉の光」、地元北海道では「男山」「千歳鶴」「北の誉」などがあった。
それぞれ若干の違いはあるものの、どの酒も飲むと口の周りがベタベタする甘口・・・というより、マズ口だった。

それがある日、だれかのおみやげで、初めて地酒というものをいただいた。
tsuunosake-03四国の「梅錦」という酒だった。
さっそく悪友に電話をして、二人で飲むことにした。
そいつが持ってきた「鳥よし」のおでんを真ん中に置き、湯のみでぐいっと飲んでみて、その清らかな味に驚いた。
俺たちが今まで飲んでいたのは一体何だったんだと顔を見合わせ、一升瓶があっという間に空になった。

今では日本中の地酒が、わりと簡単に手に入るようになった。
なんともうれしい世の中になったもんだ。
とかいって、また今夜も飲む。