20170302s00041000468000p_thum夫婦そろって風邪をひいていたおかげでほとんど外出をしないうちに、巷は雪解けが進んですっかり春模様だ。
予報でも、このあいだの吹雪で降雪のピークは過ぎたといっていた。
これから一日一日春が近づいてくる。
なにをしようってわけでもないが、なんとなくウキウキした気分になる。

そんなところへ飛び込んできたムッシュことかまやつひろしの訃報
ここ数年、自分に音楽のすばらしさを教えてくれた多くのミュージシャンが旅立っていった。
かまやつさんを初めて知ったのは、スパイダースの頃だったはずだが、初めて意識したのはソロになっての「どうにかなるさ」を聴いた時だった。
白黒テレビの向こうで、ピアノの前に座ったムッシュが作曲をしていて、そのバックに「どうにかなるさ」が流れていた。
一度聴いただけで、メロディがずっと頭のなかに流れ続けていた。

275000次に見たのもテレビで、日曜の昼間、愛川欽也と「キンキン・ムッシュのザ・チャレンジ」という番組の司会をしていた。
その後の「イカすバンド天国」のハシリのような番組で、アマチュア・バンドの勝ち抜き合戦みたいな番組だった。
そのオープニングで、ムッシュがシルクハットにタキシードというスタイルで、オリジナルのロックを歌いながら登場した。
子供心に、まるでミック・ジャガーのように見えてえらく感激したものだった。

同じ頃、ラジオでも「フォーク・ヴィレッジ」という番組の司会をムッシュがやっていた。
こちらは「ザ・チャレンジ」と同じような趣向の番組だが、ジャンルはタイトルにもある通りフォーク・ソングのオーディション番組だった。
そのオープニングにムッシュの曲が流れるのだが、いくら探してもその曲がわからず、今でも聴いてみたい曲のベスト10に入っている。

o0320032013880975916そうしたジャンルを問わないムッシュに対して、一部の音楽ファンは「節操がない」とか「風見鶏」とかいって批判をしていた。
ロックの会場では「フォーク野郎」と野次られ、フォークのライブでは「芸能人!」とののしられ「帰れコール」を浴びせられた。
今から考えると、頭でっかちのお門違いな批判だが、そんな心ない批判にもムッシュは一度も反論せずに、ただ好きな音楽をやり続けていた。
その姿は今思うと、ボブ・ディランにも通じるものを感じる。
エレキ・ギターを持っては非難され、ゴスペルを歌ってはボロクソに言われても、やりたいことをやり通したディランとダブって見える。

ムッシュはいつでもスマートでスタイリッシュだった。
生き方すべてが風流で気負いがなく、粋な人だった。
今ごろはゴロワーズでも吸いながら、大好きなブライアン・ジョーンズとセッションでもしているかも。
サンキュー、ムッシュ!
いつも素晴らしい音楽と人生のお手本をありがとうございました。