IMG_20190509_121701平成が令和になったとたんに、まっさきに飛び込んできたのは遠藤ミチロウの訃報だった。
カウントダウンの乾杯のあと、ひとしきり騒いで、残った客とまったりとしていた。
そこへ「いまネット・ニュースを見たら、ミチロウさんが亡くなったって・・」と連絡が入った。
亡くなったのは、4/25だったという。
人を驚かせるのが好きだったミチロウさんが「俺が死んだら新元号のしょっぱなに発表してくれ」と言い残していたのかもしれない。
思い返せば、4/24の夜トイレの窓に飾ってあったミチロウさんからのはがきの額を、お客さんが落として割ってしまった。
落とそうとしても落とせる場所にないので、「ミチロウさんになにかなければいいね」と話し合っていた。
もしかすると、律儀な人だったから亡くなる前日に訪ねてきてくれたのかも・・・。

昨年の11月ミチロウさんの誕生日に合わせて、膵臓がんを発表。
それから闘病生活に入っていた。
その数年前にも膠原病の一種「全身性エリテマトーデス」という難病を患い、退院後も抗がん剤や免疫抑制剤などを服用しながら、全国を廻っていた。
ディランでは昨年6/30の中村達也とのデュオ「タッチミー」でのライブが最後になってしまった。
その夜の演奏は、まるで今までのすべてを吐き出すような圧巻のライブだった。
いつもは数曲しかやらないスターリン時代の曲も、これでもかと演奏して、満場のお客さんたちを驚喜させていた。
そのパワフルな姿を見て、あらためて「この人には病気も年齢も関係ないんだ」と思わされた。
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IMG_2155その姿が強烈だったので、きっと病気も克服してまた会える日が来ると思っていた。
1996年に初めてディランに来てくれてから、ほとんど毎年のようにやってきてくれた。
酒は飲まないが話し好きで、だれに対しても優しく真剣にいろんなことを話してくれた。
振り返るとミチロウさんからどれだけ多くのものを教わったのか。
本当の知性と言うものを感じさせてくれる人だったし、それに裏打ちされた一流のユーモアセンスを持った人だった。

そんな不世出のパンクロッカーと20年以上に渡ってつきあってもらったことは、何物にも代え難い宝物だ。
忌野清志郎、どんと、高田渡、遠藤賢司、内田裕也、山口富士男、萩原健一・・・。
なにをやらかすかわからないような規格外の表現者たちが相次いでこの世を去り、残っているのはセコく計算高いうすっぺらな連中ばかりだ。
ミチロウさんの死でなにかの時代の1ページは確実に終わった気がする。
次からのページにはなんの興味もない。

♪どこまでも続く一本道の そのまたずっとむこうの天国あたり
なにを見つけたのか それはお楽しみ 「JUST LIKE A BOY」
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