泥酔亭の成り行き日記

カテゴリ: 音楽

53464671_295544731111190_2924143095236788224_n新しい年が明けたと思ったら、あっという間にもう半月が経った。
1月の末にライブをやったことはあるが、今年は12日に「ORESAMA KINGS」をやった。
スイスギターズで今まで三回ほど来てくれている夢野カブの別ユニットだ。
メンバーは日本を代表すると言っても過言ではないベーシストの早川岳晴モジョハウスなどで長く北海道のライブシーンを牽引してきたギタリストでヴァイオリニストの鈴木裕(ゆたか)だ。

もう三十年以上前になるが、新十津川の小さな公園で、早川岳晴をで聴いたことがあった。
その頃はまだ売り出し中の民謡歌手伊藤多喜雄とのデュオだった。
打ち上げでその時の話を聞いてみたら、なんでもNHKの企画で北海道の市町村をぜんぶ廻るという企画だったらしい。
その小さな公園にもろくに観客はいなく、伊藤多喜雄の歌声と早川岳晴のベースだけが響いていた。
そこで聴いたベースの音がなぜかいつまでも耳に残った。
次に早川を聴いたのは、仲井戸麗市とのデュオのDVDだった。
まるでギターやボーカルと一緒に歌っているかのような鮮烈で表情の豊かなベースだった。
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そのあともいろいろな場面で早川のベースを聴くたびに、いつかまた生で聴いてみたいと思っていた。
そこへ来たのが夢野カブからのオファー。
ついに念願かなって生で聴くことができる。
しかも自分の店でなんて夢のようだ。
さらに以前から注目していた鈴木裕の演奏も聴かれる。
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そして始まったORESAMA KINGSのライブ。
DSC01020想像をはるかに超えるベースの重厚な響き、その一音一音の存在感に圧倒された。
早川を知らないお客さんも一曲目から「このベースすごくない?」と驚いていた。
そばにあったアップライトピアノの上の小物が地響きのようなサウンドで落ちる落ちる。
そこに切り込むマシンガンのようなカブのギターとボーカル、鈴木裕の静かに燃え上がるヴァイオリン。

その日初めて父親に連れてきてもらった高校生などは夢中になって手を叩いていた。
ふだんテレビからは流れることのない、熱いライブの息吹を存分に感じたようだ。
二部のはじめには早川岳晴のソロコーナーもあり、レナード・コーエンの代表作「ハレルヤ」では渋いボーカルも聴かせてくれた。
そしてやはりハイライトは、昨年4月に亡くなった遠藤ミチロウメドレー。
「ジャスト・ライク・ア・ボーイ」から「ワルシャワ幻想」でライブは最高潮に達した。
オープニングからアンコールまで一気に駆け抜けたような疾走感のあるライブだった。
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一年のはじめから極上なライブを味わうことができた。
やはりライブは元気になる!


IMG_20190509_121701平成が令和になったとたんに、まっさきに飛び込んできたのは遠藤ミチロウの訃報だった。
カウントダウンの乾杯のあと、ひとしきり騒いで、残った客とまったりとしていた。
そこへ「いまネット・ニュースを見たら、ミチロウさんが亡くなったって・・」と連絡が入った。
亡くなったのは、4/25だったという。
人を驚かせるのが好きだったミチロウさんが「俺が死んだら新元号のしょっぱなに発表してくれ」と言い残していたのかもしれない。
思い返せば、4/24の夜トイレの窓に飾ってあったミチロウさんからのはがきの額を、お客さんが落として割ってしまった。
落とそうとしても落とせる場所にないので、「ミチロウさんになにかなければいいね」と話し合っていた。
もしかすると、律儀な人だったから亡くなる前日に訪ねてきてくれたのかも・・・。

昨年の11月ミチロウさんの誕生日に合わせて、膵臓がんを発表。
それから闘病生活に入っていた。
その数年前にも膠原病の一種「全身性エリテマトーデス」という難病を患い、退院後も抗がん剤や免疫抑制剤などを服用しながら、全国を廻っていた。
ディランでは昨年6/30の中村達也とのデュオ「タッチミー」でのライブが最後になってしまった。
その夜の演奏は、まるで今までのすべてを吐き出すような圧巻のライブだった。
いつもは数曲しかやらないスターリン時代の曲も、これでもかと演奏して、満場のお客さんたちを驚喜させていた。
そのパワフルな姿を見て、あらためて「この人には病気も年齢も関係ないんだ」と思わされた。
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IMG_2155その姿が強烈だったので、きっと病気も克服してまた会える日が来ると思っていた。
1996年に初めてディランに来てくれてから、ほとんど毎年のようにやってきてくれた。
酒は飲まないが話し好きで、だれに対しても優しく真剣にいろんなことを話してくれた。
振り返るとミチロウさんからどれだけ多くのものを教わったのか。
本当の知性と言うものを感じさせてくれる人だったし、それに裏打ちされた一流のユーモアセンスを持った人だった。

そんな不世出のパンクロッカーと20年以上に渡ってつきあってもらったことは、何物にも代え難い宝物だ。
忌野清志郎、どんと、高田渡、遠藤賢司、内田裕也、山口富士男、萩原健一・・・。
なにをやらかすかわからないような規格外の表現者たちが相次いでこの世を去り、残っているのはセコく計算高いうすっぺらな連中ばかりだ。
ミチロウさんの死でなにかの時代の1ページは確実に終わった気がする。
次からのページにはなんの興味もない。

♪どこまでも続く一本道の そのまたずっとむこうの天国あたり
なにを見つけたのか それはお楽しみ 「JUST LIKE A BOY」
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11002053935毎月同じことを書くようだが、あっという間に7月
今年ももう半年が過ぎてしまった
若い頃は毎日ひまを持て余して、ろくでもないことばかりやっていたのがウソのようだ。
あの頃と時間の進み方が違うんだべかね?
取り返せるなら、あの頃のありあまっていたひまを取り返したいぐらいだ。

6月はこれでもかっていうぐらい用事が立て込んで、このブログもほとんど手付かず状態。
覗いてくれる奇特な方々には申し訳ないが、とてもブログまで手が回らなかった。
とはいうものの、このあいだの保健所の検査でやっとひと段落つき、ようやく手が空いた。
さて、これからは野外の季節
太陽の下、キリッと冷えた純米酒でも・・・なんて思っていたら、この梅雨のような天気。
どーなってんの?北海道。
daikま、お天道さまに楯突いてもしかたがないので、せっせと晴天祈願祭に精を出すか。

そういやぁ6/18の大工哲弘ライブ
これがまた格別の夜だった。
泡盛を飲みながら聴く三線と大工さんの歌声。
目をつぶっていると北海道にいることを忘れてしまう。
とくにアンコールで聴かせてくれた十八番「とぅばらーま」は絶品だった。
若い頃から大工さんのこの歌はよく知られていて、とぅばらーまの大工か、大工のとぅばらーまかといわれていた。
名古屋から来たファンの女性が入れる合いの手も美しく、店の中に沖縄の風が吹いているようだった。
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沖縄音楽の長老たちが世を去って、今では大工さんが名実ともに沖縄音楽界の最高峰だ。
八重山民謡の無形文化財保持者で、沖縄民謡九団体の会長もしている。
そんな人がぶらりと遊びに来て、歌声を聴かせてくれる。
こんな贅沢な夜はなかった。
こういう夜があるから、何十年も続けてこられたんだなぁ。
ライブ万歳!

mqdefault1/29の黄金井脩から約二ヶ月半。
途中、日本酒の会確定申告、2度に渡る風邪との戦い常連の葬儀などめまぐるしい日々が続いたが、やっとのことで三宅伸治のライブを迎えることができた。
なんだか長かったなぁ・・・。
三宅さんのMCで気づいたが、4/16は奇しくも高田渡さんの命日であった。
生きていれば68歳、亡くなった時は56歳の若さだった。
それにしても、あの風貌で56歳はないよなぁ・・・。

51-NQ6O79YL今回のツアー・タイトルは「Mojo Warking」。
マディ・ウォーターズの「Got My Mojo Warkin'」からつけられている。(はずだ)
ブルースの大御所ライトニン・ホプキンスにも「Mojo Hand」という名盤がある。
ここでいう"Mojo"とは、ヴードゥ教の言葉で「魔術」とか「まじない」「お守り」などの意味がある。
語源はMagicから来ているらしい。
どんな女でも惚れさせる魔法のMojoを手に入れたけど、お前だけには効き目がないってな内容の曲だ。

今回も熱烈なファンで会場は満員御礼。
オープニングSEは、もちろん「Got My Mojo Warkin'」。
で、フェイド・アウトに合わせての一曲目も「Got My Mojo Warkin'」だ。
little_walterまずはシカゴブルースのゴッド・ファーザーに敬意を評してのごきげんな一曲で幕を開けた。
続いては、マディ一一家の鉄砲玉リトル・ウォルターの「Just Your Fool」
そして先日惜しまれながら亡くなった、ムッシュかまやつの代表曲「どうにかなるさ」。
ムッシュのあとを追うように亡くなった加川良は、名盤「Out Of Mind」から「こんばんはお月さん」。
いつのまにか亡くなってから12年の歳月が過ぎていた高田渡の「生活の柄」、R&Rの神様チャック・ベリーの「キャロル」
ここまで聴いて、すべての曲が追悼だと気がついた。
そのあともオーティス・レディング、Jガイルズと追悼は続き、最後はタイマーズの「デイ・ドリーム・ビリーバー」で一部は終わった。
images

P1090618洋の東西を問わず、実にたくさんの先人たちが多くの名曲を残してくれたおかげで、今の音楽があるんだとしみじみ思わされた。
しっかりと張られた根と太い幹に広がるたくさんの枝、その先に咲くたくさんの花と実。
いい音楽はこうして実を結んでいくと感じた。
そしてそこからまた多くの種が風に乗って、いろいろな場所で芽を出していく。

で、第二部はもちろんR&Rでぶっ飛びまくった。
アンコールでは、リクエストの多かった「フォーエヴァー・ヤング」も歌ってくれた。
これからもいいこと悪いこと、いろいろあるだろうけど、時々はこういうごきげんな夜があるから乗り越えていける気がする。
マディ・ウォーターズは、自分を慕ってくるミュージシャンにはいつも「Keep On.Keep On」といっていたという。
そう、Keep On!! やり続けることだ。
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b0100078_2221123好きなミュージシャンや親しい人たちがあいついで亡くなるので、このブログもまるで追悼ブログみたいになってしまった。
陽気もすっかり春めいてきたので、晴れやかな気分でなにか身近なことでも書こうと思っていたら、加川良の訃報が入ってきた。
70年代のいわゆる関西フォーク・シーンを語る上では欠かすことのできないミュージシャンだ。
ディランでも移転前に2回、新しい店舗になってからも1回ライブに来てくれた。
歌と同じぐらい個性的でアクの強い人で、独特のステージの動きは「麦踏み」なんていわれていた。

北海道にも個人的だがファン・クラブのようなものがあり、そこから加川良の入院を聞かされていた。
病状はわからなかったが、今回の発表によると、急性骨髄性ryo_3白血病だったという。
享年69歳・・・。
なんともユニークな人で、初めてディランに来た時は2時間以上もリハーサルをした。
その当時は「本番より長いリハ」とあちこちで有名だったという。
親しいミュージシャンたちは「客のいない会場でいくら念入りにリハしても、客が入ったら変わってしまうのに・・・」とよく話題にしていた。
高田渡さんなどは「なに気取ってんだ?周りの迷惑考えろ!」と怒っていた。

移転後のディランでのリハのとき、また2時間もやるのか?と思っていたら、ほんの15分ぐらいで終わってしまって驚いた。
今までの2時間リハはなんだったんだべ?
それでも強烈な個性と歌声は圧倒的で、その存在感はさすがというしかないステージを見せてくれた。
70年代フォークの名作といわれる「教訓1」
その曲を教えてくれた1つ年上の叔父も、去年の秋に急逝した。

♪ 命はひとつ 人生は1回 だから命を捨てないようにね・・・。♪
今ごろは高田渡さんと嫌味の言い合いでもしているかも。



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