泥酔亭の成り行き日記

カテゴリ: 音楽

mqdefault1/29の黄金井脩から約二ヶ月半。
途中、日本酒の会確定申告、2度に渡る風邪との戦い常連の葬儀などめまぐるしい日々が続いたが、やっとのことで三宅伸治のライブを迎えることができた。
なんだか長かったなぁ・・・。
三宅さんのMCで気づいたが、4/16は奇しくも高田渡さんの命日であった。
生きていれば68歳、亡くなった時は56歳の若さだった。
それにしても、あの風貌で56歳はないよなぁ・・・。

51-NQ6O79YL今回のツアー・タイトルは「Mojo Warking」。
マディ・ウォーターズの「Got My Mojo Warkin'」からつけられている。(はずだ)
ブルースの大御所ライトニン・ホプキンスにも「Mojo Hand」という名盤がある。
ここでいう"Mojo"とは、ヴードゥ教の言葉で「魔術」とか「まじない」「お守り」などの意味がある。
語源はMagicから来ているらしい。
どんな女でも惚れさせる魔法のMojoを手に入れたけど、お前だけには効き目がないってな内容の曲だ。

今回も熱烈なファンで会場は満員御礼。
オープニングSEは、もちろん「Got My Mojo Warkin'」。
で、フェイド・アウトに合わせての一曲目も「Got My Mojo Warkin'」だ。
little_walterまずはシカゴブルースのゴッド・ファーザーに敬意を評してのごきげんな一曲で幕を開けた。
続いては、マディ一一家の鉄砲玉リトル・ウォルターの「Just Your Fool」
そして先日惜しまれながら亡くなった、ムッシュかまやつの代表曲「どうにかなるさ」。
ムッシュのあとを追うように亡くなった加川良は、名盤「Out Of Mind」から「こんばんはお月さん」。
いつのまにか亡くなってから12年の歳月が過ぎていた高田渡の「生活の柄」、R&Rの神様チャック・ベリーの「キャロル」
ここまで聴いて、すべての曲が追悼だと気がついた。
そのあともオーティス・レディング、Jガイルズと追悼は続き、最後はタイマーズの「デイ・ドリーム・ビリーバー」で一部は終わった。
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P1090618洋の東西を問わず、実にたくさんの先人たちが多くの名曲を残してくれたおかげで、今の音楽があるんだとしみじみ思わされた。
しっかりと張られた根と太い幹に広がるたくさんの枝、その先に咲くたくさんの花と実。
いい音楽はこうして実を結んでいくと感じた。
そしてそこからまた多くの種が風に乗って、いろいろな場所で芽を出していく。

で、第二部はもちろんR&Rでぶっ飛びまくった。
アンコールでは、リクエストの多かった「フォーエヴァー・ヤング」も歌ってくれた。
これからもいいこと悪いこと、いろいろあるだろうけど、時々はこういうごきげんな夜があるから乗り越えていける気がする。
マディ・ウォーターズは、自分を慕ってくるミュージシャンにはいつも「Keep On.Keep On」といっていたという。
そう、Keep On!! やり続けることだ。
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b0100078_2221123好きなミュージシャンや親しい人たちがあいついで亡くなるので、このブログもまるで追悼ブログみたいになってしまった。
陽気もすっかり春めいてきたので、晴れやかな気分でなにか身近なことでも書こうと思っていたら、加川良の訃報が入ってきた。
70年代のいわゆる関西フォーク・シーンを語る上では欠かすことのできないミュージシャンだ。
ディランでも移転前に2回、新しい店舗になってからも1回ライブに来てくれた。
歌と同じぐらい個性的でアクの強い人で、独特のステージの動きは「麦踏み」なんていわれていた。

北海道にも個人的だがファン・クラブのようなものがあり、そこから加川良の入院を聞かされていた。
病状はわからなかったが、今回の発表によると、急性骨髄性ryo_3白血病だったという。
享年69歳・・・。
なんともユニークな人で、初めてディランに来た時は2時間以上もリハーサルをした。
その当時は「本番より長いリハ」とあちこちで有名だったという。
親しいミュージシャンたちは「客のいない会場でいくら念入りにリハしても、客が入ったら変わってしまうのに・・・」とよく話題にしていた。
高田渡さんなどは「なに気取ってんだ?周りの迷惑考えろ!」と怒っていた。

移転後のディランでのリハのとき、また2時間もやるのか?と思っていたら、ほんの15分ぐらいで終わってしまって驚いた。
今までの2時間リハはなんだったんだべ?
それでも強烈な個性と歌声は圧倒的で、その存在感はさすがというしかないステージを見せてくれた。
70年代フォークの名作といわれる「教訓1」
その曲を教えてくれた1つ年上の叔父も、去年の秋に急逝した。

♪ 命はひとつ 人生は1回 だから命を捨てないようにね・・・。♪
今ごろは高田渡さんと嫌味の言い合いでもしているかも。



Chuckかまやつひろしの思い出にひたるまもなく、今度はR&Rのスーパー・レジェンド、チャック・ベリーの訃報が届いた。
去年、90歳を記念してニュー・アルバムをリリースするというニュースを聞いて、こりゃ100歳まで生きるな、と思っていた矢先の知らせだった。
レコーディングのコメントには、今まで苦労をかけてきた奥さんに捧げるというひとことが添えられていた。
リリースされれば前作「ROCK IT」からじつに38年ぶりのニュー・アルバムということになる。
先日、死因が発表されたが「自然死」となっていた。
大仕事をやり終えての大往生ってわけだ。

38年間、新しいアルバムを出していないので、チャック・ベリーをベスト盤でしか知らないひとがほとんどではないだろうか。
chuck2そうなると、あの同じようなイントロとコード進行でどの曲も同じに聴こえるかもしれない。
代表曲「ジョニーBグッド」と間違えてしまうような曲もたしかに多いが、オリジナルのアルバムを聞けば想像以上にバラエティに飛んだ曲を作っている。
そしてなんといっても、チャック・ベリー独特の「間」、ビート感はだれにも真似ができない。
まさにチャック・ベリーの前にチャック・ベリーなく、チャック・ベリーのあとにチャック・ベリーなしである。
ジョン・レノンが「ロックンロールにもう一つの名前をつけるとしたら、チャック・ベリーだ!」といったのもうなずける。

q1959年14歳のウェイトレスを連れ回し州境を超えたという罪で、懲役5年と罰金5,000ドルという刑を受ける。
懲役は3年に減刑されたが、その後の偏見や不遇で、偏屈な性格に磨きがかかった。
苦労したせいか金銭にもうるさく、契約になければアンコールもしなかった
いつも抱えているギブソンのES-345というギターも、かなり愛着がある愛器なのかと思えば「ギターは毎年買い換える。経費で落とせるからだ」とインタビューで答えているの見て驚いたことがある。
1981年には初の来日をしているが、その二年前には脱税で逮捕されている。
バンドを抱えると金がかかるってんで、ツアーの時は現地のアマチュアを使ったりもしていた。
そのせいか残っている映像を見ると、バンドとしての完成度はかなり低い。
どれもチャック・ベリーの強烈な個性だけで押し切っている。
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キース・リチャーズはそんな記録しか残っていないことを嘆いて、きちんとしたものを残しておこうと「ヘイル・ヘイル・ロックンロール」という映画まで制作した。
もちろんその中でも、ライブの真っ最中にキースに「曲のキーを変えたい」といういかにもチャックらしい一コマがある。
なにしろ音楽から生き方、エピソードまで、いまのミュージシャンにはない強烈な個性があった。
映画の中の植木等のような飛びっ切りの軽さと明るさ。
チャック・ベリーが死んだと聞いて、なんだか世の中がいっぺんにつまらなくなった気がする。

ちなみにニュー・アルバム「CHUCK」は、6月に発売が決まったという。


dylanこの場所に引っ越したとき、おびただしい数の本、レコード、CDのほかに大量にあったのがビデオテープ
音楽関係のものも多いし、ドキュメンタリーやドラマ、落語関係やなんやかんやで段ボールに何箱もあった。
落ち着いたらDVDにでもしようと思っているうちに、あっというまに時間が過ぎてしまった。
このあいだ古い写真を整理したついでに、ビデオも整理しようと、少しずつ引っ張りだしている。
が・・なにしろすごい数だ。
ひとまずゴミ袋に3つほどは捨てた

で、残ったものの中で面白いのは、以前ディランでやったライブの映像
あたりまえだがどのミュージシャンも若いし、元気がいい。
ダビングしながら、過ぎた年月の長さを味わっている。
このあいだもふとビデオのタイトルを見ていたら、「ディラン15周年記念パーティー」と書いてあった。
これはちょいと貴重な映像だ。

1998年にミュージック・ハーベストを企画した時に、プロモーションを兼ねて、15周年記念パーティーを思いついた。
場所はスターライトホテルのホール。
当時の市長さんをはじめ、200人近くの人がお祝いにきてくれた。
bonsai余興のメインは藤井康一率いる「ボンサイ・ブラザーズ」
会場の真ん中には、お客さんが送ってくれた国稀「鬼殺し」の一斗樽
2時間の予定だったパーティーは延々4時間近く続いた。
もちろんお客さんはベロンベロン、一斗樽の国稀はきれいになくなっていた。

そのときのビデオをデジタル化したが、いかんせんノイズがすごい。
でも貴重な映像なので、ボンサイ・ブラザーズの部分だけを編集してフェイス・ブックにアップした。
もちろんライブなので、際どすぎてアップできない部分もあった。
それは門外不出として封印しておこう。
ほんの一時期だけ活動していた幻のバンド「ボンサイ・ブラザーズ」の貴重な動画。
ぜひ見てください。

20170302s00041000468000p_thum夫婦そろって風邪をひいていたおかげでほとんど外出をしないうちに、巷は雪解けが進んですっかり春模様だ。
予報でも、このあいだの吹雪で降雪のピークは過ぎたといっていた。
これから一日一日春が近づいてくる。
なにをしようってわけでもないが、なんとなくウキウキした気分になる。

そんなところへ飛び込んできたムッシュことかまやつひろしの訃報
ここ数年、自分に音楽のすばらしさを教えてくれた多くのミュージシャンが旅立っていった。
かまやつさんを初めて知ったのは、スパイダースの頃だったはずだが、初めて意識したのはソロになっての「どうにかなるさ」を聴いた時だった。
白黒テレビの向こうで、ピアノの前に座ったムッシュが作曲をしていて、そのバックに「どうにかなるさ」が流れていた。
一度聴いただけで、メロディがずっと頭のなかに流れ続けていた。

275000次に見たのもテレビで、日曜の昼間、愛川欽也と「キンキン・ムッシュのザ・チャレンジ」という番組の司会をしていた。
その後の「イカすバンド天国」のハシリのような番組で、アマチュア・バンドの勝ち抜き合戦みたいな番組だった。
そのオープニングで、ムッシュがシルクハットにタキシードというスタイルで、オリジナルのロックを歌いながら登場した。
子供心に、まるでミック・ジャガーのように見えてえらく感激したものだった。

同じ頃、ラジオでも「フォーク・ヴィレッジ」という番組の司会をムッシュがやっていた。
こちらは「ザ・チャレンジ」と同じような趣向の番組だが、ジャンルはタイトルにもある通りフォーク・ソングのオーディション番組だった。
そのオープニングにムッシュの曲が流れるのだが、いくら探してもその曲がわからず、今でも聴いてみたい曲のベスト10に入っている。

o0320032013880975916そうしたジャンルを問わないムッシュに対して、一部の音楽ファンは「節操がない」とか「風見鶏」とかいって批判をしていた。
ロックの会場では「フォーク野郎」と野次られ、フォークのライブでは「芸能人!」とののしられ「帰れコール」を浴びせられた。
今から考えると、頭でっかちのお門違いな批判だが、そんな心ない批判にもムッシュは一度も反論せずに、ただ好きな音楽をやり続けていた。
その姿は今思うと、ボブ・ディランにも通じるものを感じる。
エレキ・ギターを持っては非難され、ゴスペルを歌ってはボロクソに言われても、やりたいことをやり通したディランとダブって見える。

ムッシュはいつでもスマートでスタイリッシュだった。
生き方すべてが風流で気負いがなく、粋な人だった。
今ごろはゴロワーズでも吸いながら、大好きなブライアン・ジョーンズとセッションでもしているかも。
サンキュー、ムッシュ!
いつも素晴らしい音楽と人生のお手本をありがとうございました。


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